監督は「叙事詩というよりは叙情詩にしたい」
菊之助 滅ぼされる側を描くことによって、現代の人々に伝えたかったことはありましたか?
吉田 今の日本では、心の傷や辛さを抱えて生きている人のほうが圧倒的に多いのではないかと思います。生きていくには多かれ少なかれ大変なことがあり、その中でどう生きていくのかという心の苦しみがドラマの中心にある、というのは描きたかったところです。
菊之助 登場人物たちの心の悩みがしっかり描き出されていたからこそ、現代の人たちが共感できたんですね。これまでは源氏側が攻め滅ぼす場面がクローズアップされる作品が多かったですが、アニメの後半、平家が追いやられ、福原そして壇ノ浦へと落ちのびていくところでは、「平家の人たちもこんなに苦しい思いをしながら逃げていったんだ」という描写が、非常に心に響きました。
吉田 今作の監督を務めた山田尚子さんも「叙事詩というよりは叙情詩にしたい」と言っていたんですが、今までにない『平家物語』をアニメーションとして作るのが狙いの一つでもありました。
歌舞伎の古典演目にも描かれる「人間の業」
菊之助 歌舞伎に残っている古典の演目も、深読みすればするほど、普遍的な人間の業や、人を思いやる心、人間が大事にすべきものは何かを描いていると思います。
『義経千本桜』の「渡海屋・大物浦の場」では、壇ノ浦を生き延びたという設定で、平知盛と安徳天皇が身分を隠して登場します。正体がわかったあと、満身創痍の知盛が碇を身体に巻いて、後ろ向きに海へ飛び込む豪快な場面があります。私も演じた役で、ここが芝居としての見せ場なのですが、内面のドラマを見ると、人間の執着から生まれる苦しみとその解放がテーマになっています。
一族を守る以上のことを望んでしまった清盛の執着が地獄を生み、幼い安徳天皇まで巻き込み、六道を見せてしまった。この演目では、知盛は平家一門の執着を二度と浮上させないために、自分の肉体にとどめて海底に沈んでいきます。そういう六道輪廻の全てを引き受けたからこそ、彼の魂は解脱して天に向かっていくということを描いている。