――6歳で世界レベルを体感できるチャンスがある。その環境はアメリカならではですね。そしてカノア選手の快進撃はすぐに始まりました。子供時代もアマチュア時代も勝ちに勝って、9歳で全米チーム入り。11歳のときには、アメリカ最大のアマチュア団体「NSSA(全米アマチュアサーフィン連盟)」で年間最多優勝の30勝を記録して全米タイトルを獲得しています。12歳になるとクイックシルバーへ移籍。チームメイトにはケリー・スレーター(*現在に至るまで11度のワールドタイトルを獲得)がいて……。実際、アメリカ国内のキッズでは無敵状態でした。
勉さん 6歳で始まった選手生活は「週末はいつも試合」。草大会、アマチュアの公式戦、国際試合。いろいろな試合に出場しました。対戦相手は世界で将来を嘱望されるエリートサーファーたちでしたから、いい鍛錬の場になったと思う。だから、カリフォルニアの外にも“武者修行”に出たんですよ。
――カリフォルニアでトップになれば満足、というわけではなかった。
勉さん もちろんカリフォルニアは世界一凄腕サーファーが集まる地だと思いますよ。でも将来のことを考えると、早いうちにもっと経験を積ませたほうがいいよね、と夫婦で話しまして。オーストラリアに家族で向かったことがあります。同世代にどんな選手がいるのかを調べて、その選手と対戦できる試合に出場しようと。その頃から活躍していたサーファーでいうと、今世界ランキング2位にいるジャック・ロビンソンとかがそうですね。
苦労時代の「めちゃくちゃ大変(笑)」だった教育費
――オーストラリアでサーフィンは国技ですよね。2000年のシドニーオリンピックではサーフィンが正式種目になるかも、なんて噂もありました。ですが、世界を股にかけた武者修行をすると、教育費がとんでもなくかかりそうです。
勉さん それはまあ、めちゃくちゃ大変でしたよね(笑)。渡米後、僕らはフィットネス関連のビジネスを軌道に乗せたり、日本人旅行者を対象にしたサービスを提供する仕事をしたりして生計を立てていました。でもリーマンショックで仕事を失って……。クルマのローンを払えなくなってしまったこともありました。
――カノア選手もまだ幼かったですよね。
勉さん 7歳頃かな。2~3カ月支払いを滞納していたある夜、23時頃にコンコンとドアがノックされて。誰だろうとドアを開けると、「支払えないなら持っていくよ」と、いつの間にかクルマがレッカー車に乗せられて、運ばれていったんです。起き出してきたカノアも、寝ぼけ眼で見ていたんですよね。「調子悪かったし、メンテナンスで持っていってくれたんだよ」とはぐらかしましたが……。きっとわかっていたんでしょうね。
だからか、カノアはどこかハングリーなんですよ。