1ページ目から読む
4/5ページ目

「ただでは帰らない」カノアの“あきらめの悪さ”

――カリフォルニアでサーフィンの英才教育を受けた、と聞くと経済的にさぞ恵まれた子供時代を送っていただろうと思われそうですが、そういうわけではなかったんですね。

勉さん いま思うとですけど、あいつの諦めの悪さはそういうところで身についたのかもしれない。QS(※当時、世界中のサーファーたちがCT入りを目指して戦った二次リーグ)を転戦していた17歳のときに、南アフリカでグレードの高い試合があったんです。CT入りを果たすには、好成績を収める必要のある1戦でした。

 けど、カノアが現地入りしようとしたら、18歳以下が入国するには親の同意が必要だと急遽決まってしまった。同意書を持っていない選手は入国できず、強制的に帰されたんです。でもカノアは絶対に帰らなかった。そういうやつなんですよ。

ADVERTISEMENT

――その後、どうしたんですか?

勉さん カノアは空港で半日以上も粘って交渉したようです。その間に、僕たちに電話をしてきて「パスポートのコピーを送って」と。スポンサー会社の社長ともコンタクトをとって、そっちから同社の南アフリカ支社の代表に空港へ来てもらう約束を取り付けたんです。そうして入国にこぎつけたんです。

アジア人として初めてCTで優勝した瞬間

――結果、試合はセミファイナルに進出して、CT出場のためのポイントを十分に稼ぐことができました。

勉さん もし早々に諦めて帰国していたら、あの年のCT入りはなかったでしょうね。カノアは「南アフリカまで来て何もせずには帰れない」と覚悟していたのだと思います。フライト代や試合へのエントリー代などお金も無駄にしてしまうし。我が子ながら「やるな、こいつ」って思いましたよ(笑)。