五輪の後、「僕らが選択した道は、間違っていなかったね」
――高校生くらいで、フライト代やエントリー代など、ご両親の支援のありがたさがわかっていたんですね。
勉さん そういえば10歳の頃だったかな。クルマを買いに行ったときも、値段交渉が始まってちょっと負けてもらえたと思ったら、カノアが「まだ嬉しそうな顔しないでよ。もう少し値引きできるから」なんて日本語で耳打ちするんです。これ以上は難しいと店員に言われると、「父さん、他も見てみようよ」なんて言って。しかも、値段の折り合いがついたと思ったら、「全部レザーシートでお願いね」とかちゃっかり交渉する。母親に似たのかな。俺はすぐに諦めて、ハイハイと支払っちゃう方だから(笑)。
――カノア選手は順風満帆にきたように見えますが、苦労は多かったんですね。カノア選手は「ここぞという時に勝ち切る力が強い」とも評されますが、そういった環境が力になったんでしょうか。
勉さん ほんとうに、カノアには苦労をかけたところもあったと思います。東京オリンピックの決勝のあと、家族でテーブルを囲んで食事をしたタイミングがあったんですね。そのときにあいつがこんなことを言ってくれたんですよ。
「僕らが選択した道は、間違っていなかったね」って。
――家族で勝ち取った銀メダル。2028年の夏季オリンピックはロサンゼルスでの開催ですね。
勉さん サーフィン競技の会場は僕らのホームであるハンティントンビーチになる可能性が高いとも言われています。それまでに6年ある。ワールドチャンピオンとしてのぞみ、東京で獲れなかった金メダルを獲る。すでに、五十嵐家のフォーカスは合っていますよ。
サーフィンの本場で育ったことから、サーフエリートとして見られがちなカノア。スマートさから“サーフィン界の貴公子”と呼ばれることもある。しかし移民二世として世界レベルのサーファーを相手に結果を出せたのは、恵まれた環境で育ったからではない。日本では得難い、“日々を生き抜く”という厳しい経験があったからこそ、カノアはうまく、強くなったようだ。