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本来の千葉の中心市街地は…

 さて、そんなに文句をいっても仕方がないので、千葉駅から少し離れて中心市街地を探そう。

 

 探そう、といったところで駅前の広場からまっすぐに千葉駅前大通りが東に伸びているから、そこを歩いて行けばその周囲が中心市街地なのでしょう。この道から一本外れると大きめの商業ビルからチェーンの飲食店やカラオケ店などが建ち並んでいるような一角があり、まさに千葉の繁華街。老若男女が闊歩している。

 
 

 そうして駅前大通りを中心に東に歩いて行くと、またまたモノレールの高架が見えてくる。先ほど千葉駅を出発したモノレール(の1号線)は、すぐに大きくカーブして南に進路を変える。まっすぐ駅前を歩いてきただけなのにモノレールとぶつかるというのはそういうわけだ。

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 そしてそのモノレールの下をくぐると、千葉市中央公園という大きく立派な公園が待っていた。

 実は、本来の千葉の中心市街地はこの中央公園から東側の一帯に広がっていた。実際に公園から東に歩くと、ほどなく千葉神社という立派な神社が見えてくる。千葉市街地の原型は、千葉神社の門前町なのである。

 

“ちょっぴり珍しい歴史的な特徴を持っている町”「千葉」

 

 千葉という町は、県庁所在地ではありながらも江戸時代には特に城下町などではなかったというちょっぴり珍しい歴史的な特徴を持っている。

 ずっと歴史をたどっていけば、平安時代後期から千葉氏という豪族の本拠地であったこともある。千葉氏の人物で有名なのは千葉常胤。『鎌倉殿の13人』にも登場しており、岡本信人さんが演じている。

 この常胤の像が、千葉神社前の公園の片隅にあった。千葉の市街地の基礎の基礎を築いたふるさとの偉人、ということなのだろう。

 ただ、千葉氏の時代は戦国時代までに終わってしまい、江戸時代には千葉街道の宿場町というのがやっと。江戸湾に面する港町で、佐倉藩の外港としても機能していたようだが、他の県庁所在地のごとく、大きなお城があったわけでもなんでもない。そしてその千葉街道が通っていて、宿場町の集落があったのが千葉神社周辺だったのだ。

 明治に入って1873年に千葉県が成立するとなぜか県庁が置かれることになったが、これは印旛県と木更津県が合併し、その境目付近にあったからだとか。もめないようにうまく間を取った結果の県庁所在地なのだ。