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 GLAYの31stシングル「Blue Jean」(2004年)での風の便りはかなり甘酸っぱく、“手繰り寄せる”という歌詞がある。この「手繰り寄せる」という表現の絶妙さ、恐るべきTAKURO……。私も覚えがある。サーチ欄に初恋の人の名前を、ひらがな、ローマ字、漢字とあらゆるバージョンで入れて、小さな情報でもいいから出てこないか検索した。「風の便りを手繰り寄せる」とはあの感覚そのものだ。

「Blue Jean」も、今自分は独り、だからあの人も独りでありますように……と願い、友達になんとなーく、それとなーく聞き出そうとしたり、名前やブログで検索したりする姿が目に見えるようだ。とても愛しい。

西野カナが歌う、SNSの曖昧なつながり

 ネットが普及し、大きく変わったのは情報を「手繰り寄せることができる」便利さだけではなく、友達やつながりの定義の拡大である。昭和は、風の便りといえば連絡が取れなくなった友人や元恋人の情報のことだったが、平成中期からは「その他」も入ってくるように。

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 西野カナの「もしも運命の人がいるのなら」(2015年)では「風のうわさでは また誰かが 運命の人に出逢ったみたい」という歌詞があり、「また誰かが」という大人数を思わせる表現が、SNSの曖昧なつながりを思わせる。友達、友達の友達、友達の友達の友達から流れてくる、ハッピーな恋のコメントや画像に対する焦り。ああ、わかるわかる……。

「もしも運命の人がいるのなら」

 同じく2015年に発売されたまふまふのアルバム「闇色ナイトパレード」に収録された「忘却のクオーレ」には「コドクには勝てないらしい」という風の便りが出てくる。なるほど、誰が言い出しっぺか分からない、まかり通った古い価値観、決まりきった考え、通説も確かに風の便りだ。

 毎日、アプリを開ければ秒で届く世界中からの情報。大切なコメントもあやふやなコメントもいっぱいで、風の時代の風の便りは、もはや「台風の便り」レベル。そのなかに紛れて、心を動かす「便り」もひょっこり届くかもしれない。上手にキャッチしたいところだが、風は気まぐれ。大切な情報や言葉が吹き飛ばされないように。

 言葉が違うだけで、同じ意味でも感じる手応えが変わるから、本当に不思議である。