――涙で夜も眠れない……みたいな日もありそうですね。
河内 いや、もう涙も出ないんですよ。泣いたところで帰れるわけではないので。どうやったらここから出られるんだろう……と日々思っている間に10ヶ月が過ぎていたという感じでした。
でも、ネガティブなことばかりではなくて、同部屋の子たちとは関係性が深まって家族みたいになれたり、良かったこともあります。もちろんその時の経験があったからこそ、競輪選手という責任の重いアスリートとしてデビューできているわけですし!
――河内さんにとってそうとう過酷な環境だったんですね。ちなみに養成所に入っている間は試験などもあるのでしょうか?
河内 そうですね。選手になれる身体かどうかを検査したり、学科や競走タイムでの試験に合格しないといけません。周りには実際に落ちてしまっている人もいたので、普段はあまり勉強が好きではないんですが、そのときだけは死にもの狂いで学科の勉強に励みました。
――10ヶ月が経って、いざ卒業。念願の競輪選手になれることも決まって、外に出られたときは、さぞ解放感があったのではないでしょうか。
河内 そうですね。養成所で食事をしっかり管理してもらっていたからか、すごく「ケーキを食べたい!」となっていましたし、たくさん食べましたね! 面白い話としては、卒業後すぐセブン-イレブンに行ったんですけど、レジが変わっていることを知らなくて、お金を店員さんに直接手渡したら「こちらに入れてください~」と最新式のレジを案内されて、「えっ!?」となったこともありましたね。10ヶ月で世界がすごく変わってたんです(笑)。
「消えたい……」と思うほど追い込まれることも
――卒業してからどれくらいの間を置いて初レースを迎えられたのでしょうか?
河内 ルーキー戦があったので、1ヶ月ちょっとくらいですかね。初めてレースに出走したときは、私を信じて、応援して賭けてくれているという事実に“重み”みたいなものを感じていました。そうしたプロ意識は持てていたんです。でも、初レースの内容は全然ダメでした。
河内 デビュー直後はしばらく新人同士でレースをするんですけど、そこでもなんで勝てないのかわからないくらい勝てず、4着が続いて……。消えたくなるくらい追い込まれていました。