当時は忙しすぎて、毎日ほとんど寝ないで、駆け抜けるように仕事をこなしていました。私のスケジュールがハード過ぎて、マネージャーが音を上げてすぐに辞めてしまうなんてこともあるくらい。そういえば、野田のところにいた23年間で、私のマネージャーは15人も代わっているんです。
――23年間で15人も。ほぼ1~2年で交代ということになりますよね。
山田 野田の方針のひとつに、「マネージャーは絶対に男性。しかも1年くらい経ったら交代させる」というのがあったんです。馴れ合いになるとダメだからって。
だから、せっかくマネージャーと信頼関係を築いても、すぐにリセットされてしまう。新しいマネージャーは新人を付けられて、私がゼロから現場のことを教えていたんですよ。本当に疲れたし、辛かったですね。
野田にも、その方針だけはやめてほしいと言っていたんですけど……。人の意見をまったく聞かない人なので。もし私がずっと同じマネージャーでやれていたら、もうちょっと売れていたと思います(笑)。
気づかないうちにストレスが積もり積もっていた
――多忙な芸能生活に、ストレスは感じていましたか?
山田 ストレスはありましたね。やっぱり大御所の人たちと共演するときは、すごい緊張するわけですよ。例えば、和田アキ子さんが司会をしていた『快傑熟女!心配ご無用』(TBS系)に出ていたときは、錚々たるメンバーのなかに若造の私が入っていて。我ながら「どう考えても私だけ浮いてますけど」って思ってましたもん。
もちろん、大御所の方々は皆さんすごく優しいんです。でも、“生き字引”みたいな人たちと共演すると、やっぱり実力の差を痛感するし、足を引っ張らないように気を張ってしまう。そういうストレスが、気づかないうちに積もり積もっていたように思います。
――息抜きをすることはなかったのでしょうか。
山田 家がバレたくなかったから、外出もまったくしなかった。だから、あまり息抜きができなかったんです。外に出ると、自分の知らない人が自分のことを知っている状況じゃないですか。それに怖さも感じていました。
当時を振り返ると、パニック症や躁鬱病のような症状も出ていたと思います。撮影がない日は気分が落ち込んで、トイレで吐いたりすることもありました。私は胃腸が弱くて、撮影の合間に腸がちぎれるくらい痛くなったりしたこともあったんです。そのときは、脂汗をかきながらトイレに閉じこもって、症状が落ち着くまで我慢して……。