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「史上最年少50号」ヤクルト・村上宗隆(22)にあって、巨人・岡本和真にはなかった「○○○のメンタル」《「もう限界」発言からわずか3年の快挙》

2022/09/02
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 プロ野球ヤクルトの村上宗隆が9月2日の中日戦で、今季ホームラン50号に到達した。日本人では王貞治、野村克也、落合博満、小鶴誠、松井秀喜以来6人目の快挙。22歳7カ月での到達は王の24歳3カ月を大幅に上回る大記録だ。残り25試合。1964年の王の日本人最多55本塁打の記録更新も現実味を帯びる。

 名実共に「現役最強スラッガー」の称号を手中にするまでの村上のサクセスストーリーにおいて、日本選手シーズン最多184三振という不名誉な記録を樹立した2019年シーズン抜きには語れない。

元同僚「俺があいつなら心が折れる」

 村上はルーキーイヤーの18年、2軍で打率2割8分8厘、17本塁打、70打点という好成績を残した。シーズン終盤に昇格した1軍では初打席初本塁打の離れ技を演じ、一気に翌年への期待感を高めた。

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村上は史上最年少で50号到達 ©時事通信社

 19年はオープン戦14試合で打率2割4分5厘、4本塁打を放ったものの23三振と課題の荒さは解消されないままだった。球団史上最年少の19歳1カ月での開幕スタメンなるかどうかが注目された中、当時の小川淳司監督は「6番・三塁手」で先発起用した。

 当時の宮本慎也ヘッドコーチがYouTube上でこの時のことを振り返っている。

「開幕スタメンには反対した。競争で取っていないので」

 監督主導で将来の4番を育成するため、1軍に「村上枠」を設けたのだった。

2021年の日本シリーズ ©文藝春秋

「もう限界ですよ」小川監督が親しい関係者にこう漏らす時期も

 公式戦でもオープン戦同様、三振を量産した。最終的に打率は2割3分1厘と依然穴が多かった。守備では失策を連発し、投手の足を引っ張った。先輩で親交が深い上田剛史氏は「僕があいつ(村上)なら心が折れると思った。ベンチで相当怒られていた」と証言している。元NPB球団監督が続ける。

「みんな生活が懸かっている。村上がエラーしたり、チャンスで打てなかったりすれば、投手が勝ち星を落とすなどチームメートが不利益を被ることがある。投手、打撃、守備など各担当の縄張り意識が強いプロ野球では、担当コーチ間がぎくしゃくもする。監督が使い続けていくことは並大抵の腹のくくり方ではなかったはず」