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家臣であるから忠義を果たすのではなく…
一方、武士の「一分」を立てるということは、直接主従関係には結びつかない体面意識である。すなわち、かれらは「忠義」のために吉良邸討ち入りに参加したというより、自分の心情や体面や意地のために参加したのであった。
しかし、逆説的な言い方になるが、実は「忠義」というものは、これらの心情の中にしか存在しないのではないだろうか。家臣であるから忠義を果たすのではなく、やむにやまれぬ心情から出た行動のある形態が、「忠義」と称されたのではないだろうか。
つまり、恋愛感情に近い形で主君を思うことや、武士としてのアイデンティティを保とうとする心の動き(盲目的に主君のために働くこともこれに含まれる)こそが、それまでの忠誠心の本質であったと思われる。「忠義」というのは、そのような感情から出た殉死とか敵討ちとかを世間が受けとる枠組みにほかならない。それ以外に「渡り者」たる武士の忠誠心など、どこにもないのである。
ただし、元禄期ともなると、このような「忠義」が、ただ無自覚的な全面的献身からばかりではなく、「武士の一分」という世間の評判を顧慮する心情からも出ていることは留意しなければならない。馬廻の武士たちの参加の動機は、実はこの辺にもあると思われるからである。