基本的に慎重で憶病 ときに驚くほど大胆になる
また、狸寝入りを発動させないでも、じっとして危険をやり過ごそうとすることが多い。おおらかなところもあるようだ。ある傷病センターで飼養されていたタヌキの檻の前で、タヌキの声真似(ンーとクゥーの間のような)をしたら、小屋から出てきて目の前でお座りをしてくれたが、すぐに船をこぎ始めた。真昼で眠たかったんだね。
一方、逃げる機会は逃さない。私のタヌキ捕獲の師匠(市原貞氏)のお宅には6畳大の飼育檻があり、そこで傷病タヌキを2頭飼養していたときのことである。自然に戻すリハビリを兼ねて庭に面した扉を解放したところ、1カ月以上出ない。扉の下に肉を置いても出ない。
しかし、庭に出るようになって数日後、60センチメートル近くもある庭の池のコイを獲り、肝だけきれいに食べたその夜に、庭の周囲に張り巡らしたトタンに隙間をつくって逃げてしまった。
基本的に慎重で憶病だが、ときに驚くほど大胆になる。野生で生きていくには、危険を回避しながら食べものやパートナーを確保する行動が必須であり、ときには相反する動機の狭間で瞬時に決断を迫られることもあるだろう。怖いけれど、やるなら今しかない、と。武道でいう「大胆にして細心なれ」の如く。
里山に暮らす適応
環境の変化や新天地の環境に対し、それに適応する生理や形態が世代を通して選ばれ残り強調されていく進化過程と、生理や形態はほぼそのままで行動が適応するものがあるが、時間軸のスケールが異なるだけで、同時に起こっていると思われる。
適応しなければ子孫を残しにくい。もちろん環境の変化がなければ、そのままで適応しているといえるが、人類による生息地の改変・消失や外来生物の定着および地球規模の気候変動のさなか、なかなか無為無策でのほほんとは生きにくいのではなかろうか。
行動で変化が起こりやすいのは、やはり食べることに関してである。タヌキは慎重で大胆だと述べたが、その大胆さが際立つのが「餌付け」だ。美味しい食べものが必ずもらえるなら、真昼でも出かけていくようになるし、継続すればもう近くに住んでしまう。
それで個体数が増えてもタヌキは高密度で生きていける。しかし、結末は見えている。生態系と切り離された過剰な食べものは、野生生物の生理と社会構造を蝕み、病気の蔓延、農作物被害、行政による捕殺などに繫がる。
私がストーキングしていた千葉のタヌキや盗撮していた茨城のタヌキは、人間がつくった景観に適応した生活を送っていた。そう、依存でなく適応である。