5月15日午前3時過ぎ、外灯の薄明りの下、巣穴に戻ってくる信綱を見かけた。去年より逞しく自信もうかがえるような歩きぶりであった。タヌキ親父は頼もしい。
この家族に悲劇が襲ったのは6月18日の19時過ぎだった。エコーが車に撥ねられて死んだ。いつもは県道下を通る排水溝を使っていたのに、その夜に限って路上を横断して一時帰宅しようとしたようだった。
少し育児疲れで緩くなった首輪
彼女がなぜ道路上を行ったのかは、そばに転がっていたモグラの死体が告げていた。たぶんエコーは、離乳を始めた子どもたちにお土産を渡したかったのだと思う。タヌキのメスが巣穴に獲物を持ち帰ることは報告されたことはない。あくまでその場にいた私の直観である。
母親を亡くした子どもを放棄する父親は、哺乳類ではめずらしくない。離乳を余儀なくされた子らを、信綱はどうするのだろう。子ダヌキに発信器はついていない。
信綱を追いかけていた8月の早朝のことである。舗装された農道の上についたばかりの大小の足跡を見つけた。信綱一家に違いない。彼は少なくとも2頭の子どもを連れていた。同じ季節の捕獲時に装着した発信器の首輪が緩くなり、少し育児疲れに見えるのは気のせいか。
一宮川が大雨で氾濫するが、牛舎に避難
また、ある真夜中、河川敷を行く信綱を追いかけていた私は川沿いの農道にいた。どうやら子ダヌキが少し遅れていたらしく、結果的に父と子(ら)の間に入ることになってしまった。子を呼ぶ信綱の声が農道下から何度も聞こえた。私はじっとしている他はなかった。幸い、しばらくすると藪を伝って子は父と合流できたようだった。
私はその後すぐに2カ月間米国と英国に行くことになり、これは後で聞いたことである。9月22日、台風17号が記録的な大雨をもたらし、一宮川を氾濫させ、父子の巣穴を飲み込んだ。そのとき川沿いだが少し高台にある牛舎に、発信器をつけたタヌキが子連れで避難していたという。信綱は子ダヌキの安全を確保していたのだ。タヌキ親父は素晴らしい。