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9分9厘諦めていたところ…

 しかし、二人がかりでも信綱のほうが機敏に動く。私は野生タヌキの心気力を過小評価していた。2度車に撥ねられた者が動けることだけでも信じがたいが。とりあえず静観することに決め、信綱のいる藪に餌をばら撒いて罠も仕掛けた。せめてなにか口にしてほしい。

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 16日18時前、もう1頭追跡している周作に張りつく。20時過ぎに動き出して一安心。生きもの相手の仕事には、つねに死の不安がつきまとう。そうして、23時29分のこと、一宮川のほうへ移動した周作を追っていて、ふと周波数を信綱に合わせてみた。入った‼ 

 川のすぐ向こう側だ。帰ってきた。信綱が帰ってきた。このときなぜ受信器を、9分9厘諦めていた信綱に合わせたかは自分でもわからない。信綱は、朝にはもとの巣穴に戻っていた。

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 信綱はエコーを失い子ダヌキが分散していったあと、パートナーを見つけられずにいて、成獣でありながら放浪の旅に出たのではなかろうか。発信器の電池は装着から約3年間もち、国道とは反対方向の少し北西で落ち着いたところまでは確認した。その後の彼の行方は知る由もない。

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佐伯 緑

東京大学出版会

2022年7月11日 発売