「親と縁を切りたいと思う自分は、やはり薄情な人間なのでしょうか」

 貧困や暴力など、家庭でさまざまな問題を抱えている人々と話していると、このように聞かれることが度々ある。

 彼ら彼女らは生まれ育った家庭が貧しかったり、家族から継続的に暴力を受けていたり、身体や経済的な自由を奪われたり支配されたりしながら、なんとか今日まで生きてきた人々だ。一般的に「サバイバー」と呼ばれることも多いが、こうした問題は、大人になれば自動的に解決されるようなものではない。親やきょうだい・親族が生きているかぎり、あるいは家族が亡くなってもなお、苦しみが継続するケースも少なくないのが現状である。

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「逃げればよかっただけ」と簡単に切り捨てるが

 特に貧困は、世代間を超えて連鎖する傾向にある。これを経済学の用語で「貧困の悪循環」という。一度入ってしまうと外部からの介入がない限り継続する貧困の要因や事象のことで、「貧しい家庭は貧困状態が3世代以上にわたって続く」と少なくとも定義づけされている。

 貧困に陥っている家庭には、貧困脱出に必要な経済力に加えて、教育などの「知的資本」、学歴や文化的素養である「文化資本」、コネクションなどの「社会的資本」を持つ親族がいなくなっていることにより、貧困から脱出することが実質不可能であるか、できたとしても長い年月を要すると指摘されている。

「貧困は自己責任」「自分が選んでそうなっているのだから自業自得」「ただの努力不足」だと述べる人は、そもそも貧困のメカニズムを理解しておらず、自分自身のことを「無知である」と喧伝しているにすぎない。

 また、家庭環境に恵まれなかった人に対して「逃げればよかっただけ」と簡単に切り捨てようとする人は非常に多い。しかし、苦痛な環境下において、逃げられるのであれば誰でもそうしているはずであるし、実際には複雑な要因が絡み合っていて、容易には逃げられない構造になっている(構造を作られている)。