文藝春秋10月号より、全25ページにおよぶ座談会「統一教会と創価学会」の一部を掲載します(司会・宮崎哲弥〔評論家〕、島田裕巳〔宗教学者〕、仲正昌樹〔金沢大学法学類教授〕、小川寛大〔『宗教問題』編集長〕)。

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「政治と宗教は原理的に分離されるべき」

宮崎 安倍晋三元首相暗殺事件を機に、政治と旧統一教会(世界平和統一家庭連合。以下、統一教会)の関係が改めて注目されています。そこで今日は近代日本における政治と宗教の関係について議論したいと思います。

 議論を始める前に前提として私自身の基本的なスタンスを明らかにしておきます。それは「政治と宗教は原理的に分離されるべきだ」というもの。宗教がカヴァーする領域というのは、政治の扱う領域よりも深く、広いのです。宗教はそれを信じる者のアイデンティティの根幹を規定し、世界観総体を形成する。従って宗教には妥協とか譲歩というのはあり得ません。原理的には。

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宮崎哲弥氏

 ただ共存はできる(笑)。近代社会においては政治権力が共存を強制しているからです。宗教勢力が宗派間闘争をはじめたり異端審問を行ったりすることは、世俗(政治権力)優位のこの社会では、許されないことです。

 政教分離原則というのは、この政治権力の作用がすべての宗教に対し平等であるように、特定の宗教宗派の立場に偏らないようにするために設けられたものなのです。

 まあこれが原理的なスタンスですが、リアルポリティックスはずっと複雑怪奇であり、「政」と「教」の関係も一筋縄ではいきません。統一教会や創価学会に限らず、多くの宗教が政治と関わってきた。問題はその関わり方だと思います。今日はその論点を追及したいと思います。

島田裕巳氏

 さて、まずは安倍元首相暗殺事件について一言。

「宗教の皮をかぶった集金マシーン」

小川 山上徹也容疑者の「特定の宗教団体に恨みを持っていた」との供述の第一報に触れ、おそらく統一教会だろうと予想がつきました。なぜなら日本の数ある宗教のなかでも、統一教会の高額献金や霊感商法の悪質さは群を抜いているからです。もはや宗教ではなく、宗教の皮をかぶった集金マシーンと言ったほうがよい。今回のような事件が起きうる土壌は以前からありました。

 一方、安倍元首相は祖父の岸信介から3代にわたって、統一教会と親しい間柄にありました。被害者団体や弁護士が「付き合いを考え直してくれ」と申し入れても耳を貸さなかった。もちろん、だからといって殺人が正当化されるわけではなく、事件そのものは本当に痛ましい悲劇です。ただ正直、脇が甘かったのは否めません。

暗殺された安倍晋三氏

島田 容疑者の母親が「多額の献金をしていた」としか報じられていなかった段階では、私は他の新宗教も頭に浮かびました。奈良という土地からまず連想したのは、地元の天理教です。作家の芹沢光治良は自伝的小説『人間の運命』の中で、親が熱心な天理教の信者であり、全財産をなげうって布教にのめり込んだために塗炭の苦しみを味わったことを描いています。また、容疑者が元自衛官という情報から、かつて自衛隊内に信者組織を持っていた顕正会の可能性も考えました。顕正会は日蓮正宗系の新宗教ですが、日蓮正宗の国教化を目指すなど、過激な活動で知られています。