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「私はノリちゃん(治則氏)もハチ(治之氏)もよく知っていますよ。ハチは電通で派手にやっていましたけど、あれはEIEのカネでうまくやっていただけ。兄弟は全然性格も違います。政治家とメシを食う時にはノリちゃんを呼んでいろいろ紹介しました。安倍晋太郎とは以前から関係があったようでしたが、私のお陰で仲良くなった」

 高橋治則氏にとって安倍晋三の父、晋太郎は政治家のなかでも特別な存在だった。治則氏と20年来の付き合いだった知人が明かす。

安倍晋太郎氏

「2人は頻繁に会食をしていました。『次は自民党の幹事長になる』と治則氏が嬉しそうに話していたことを覚えています。『普通の人だけど幹事長になれちゃうんだよね』と肩肘を張らない関係だった。一度お互いに古い家系図を持って来て突き合わせてみたら、どこかで繋がっていたという話もしていた。平戸がルーツの高橋家とは遠戚関係にあるようでした。秘書として晋太郎さんに付くようになった晋三さんのことも可愛がっていて、『経済のことを何も知らないからな』と言っていろいろと教えてあげている様子でした」

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安倍晋三氏

「スペシャルマッサージ?」

 その後、協和信組トップの背任事件などもあり、実績を残す治則氏は非常勤理事から副理事長へと取り立てられた。そして85年5月、協和信組から改名した東京協和信用組合の理事長に就任する。のちに85年は「バブル元年」と言われるが、金融機関を手中に収めた治則氏は、狂乱のバブルへと突き進んでいく。

 彼はその後、メインバンクとなった長銀からEIEインターナショナルに湯水の如く注ぎ込まれた融資を元手に、ゴルフ場開発やリゾートホテルの買収に手をつけた。サイパンの「ハイアット・リージェンシー・サイパン」を42億円で手に入れると、オーストラリアでは、「リージェント・シドニー」を130億円、「ハイアット・リージェンシー・パース」は120億円で取得。2機のプライベートジェットで世界中を飛び回り、香港、ミラノ、ニューヨーク、タヒチなどでも次々とホテルを買い漁った。グループの資産は1兆円を超えた。

「お金に頓着しない人で、財布にはお金は殆ど入っていませんでしたが、海外では勝手が違った。バンコクでマッサージを頼んで、数えもしないでお金を渡したら『スペシャルマッサージ?』と言われたと笑っていました。聞くと、凄い金額を払っていた。オーストラリアに行った時は、あとでホテルから『現金のお忘れ物があります』と連絡があったのですが、チップ代わりに札束を置いてきたようでした」(同前)

※事実関係を確認したところ、治則氏が立て直しを依頼されたのは「協和信用金庫」ではなく「協和信用組合」であると判明したため訂正しました。(9月26日)

西﨑伸彦氏の「高橋治之・治則『バブル兄弟』の虚栄」全文は、「文藝春秋」2022年10月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

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高橋治之・治則「バブル兄弟」の虚栄