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 ところが、家族や夫婦について考えようとすると、男らしさ、女らしさにとらわれない新しい言葉がありません。どうしても、夫や妻、父親や母親といった、男か女かで分けた“立場”の話になってしまいます。

 いくらりゅうちぇるさん本人が、自分らしく、世の中の枠組みに翻弄されないで自分のやりたいことをやろう、みんなもそうしたらいいよと思っていても、いざ家族の話をしようとすると、夫や妻という枠組みにそって話すしかなくなってしまう。レッテル貼りに抵抗して生きてきたりゅうちぇるさんが、融通の利かない枠組みに馴染めなかったというのは自然なことではないでしょうか。

家族・夫婦というレッテルから自由になるための挑戦

 今回りゅうちぇるさんたちが試みたのは、この“家族”や“夫婦”という枠組みを捉え直すということだったのだと思います。現代では、父親や母親がお互いに立場を越えて助け合うことで、性別役割分業を解消していこうとする動きは確かに強まっています。

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2人はあたらしい夫婦の関係を提示してきた(りゅうちぇるツイッターより)

 しかし、それはあくまで、夫婦間の配分を変えて互いの負担を軽減するという方向であり、家族という前提の枠組みは強固に維持されたまま。お2人が模索する“家族”の在り方そのものへの挑戦とは違うアプローチなのです。

 この“離婚”を「りゅうちぇるさんがXジェンダーだったから、“父親”らしく、“夫”らしく、振る舞えなかった」と結論づけるのはスッキリするし、非常にわかりやすい。しかし、そのわかりやすさこそが罠なのではないでしょうか。

 従来の“家族”という枠組みに囚われてしまうこと、その家族観を踏襲しないとコミュニケーションが成立しないことが問題であり、その固定観念こそがりゅうちぇるさんを苦しめてきたものに他なりません。

 分業や分担を変えることに加え、カテゴリーそのものを再考することによって私たちの社会はより自由に、生きやすくなるはずです。多様な“家族”の在り方を自由に語れる環境が整うには、お2人が培ってきたような経験を可視化していく必要性があります。勇気を持って公表したりゅうちぇるさんとぺこさんを応援したいと思います。