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懐に手榴弾を忍ばせて…「首を縦に振らなかったらピンを離すぞというわけや」山一抗争の主要人物が語る、抗争勃発の“裏側”

『烈侠』より#1

2022/09/16

genre : 社会, 働き方, 読書

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 細田は、「組を竹中と西脇で2分割みたいな形にするんはやめろ」言うてた。つまり、自分で行きたいところを決めろと。「お前ら行きたいとこにみんな行け」と細田は自分とこの若い衆に言うてたわけや。「自分は加茂田行きます」「自分は山健行きます」、中には竹中のところに行く者もおるやろ、でも、若い衆がそれぞれ自分で決めて組を移る。それでええやん。それが、若い衆を自分のとこに吸い上げるためによその組を切り取るようなことをした。

 竹中とは言い合いをしたこともあった。北海道へ加茂田組が侵攻したときに「お前が取ってこんかい」とか言われて、わしは「なんであいつに言われなあかんねん」と思うた。山健が言うならまだわかるけどな、若頭でもなんでもない人間に言われて。「なんやありゃ、あれに言われることがあるかい」と。

誰が組長なら分裂はなかったか

 四代目を誰にするのか、親分衆の合意がちゃんと反映されとるとか、田岡の親分がほんまに指名していた、とかのような筋が通った話やったら、わしは呑むよ。当たり前やがな。けどな、遺言なんてそもそも存在しない話を持ち出してくるからややこしゅうなる。

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 その辺がきっちりしてないときに、山広以外の人間で、わしが誰ならついていくかの話なら、わしは山健が四代目やったら、ついていった。横浜の益田がクッションで継ぐんでもよかったかもわからんな。それやったら山口組におったかな。実際、益田のワンポイントっていうんは、当時噂されてたから。益田が継いどったら、いったんみんな丸くおさまる。

 そもそもやで、竹中については、「なんで四代目を継ぐんや」ということでみんな反発したわけやから。中山(勝正・三代目山口組若頭補佐、豪友会会長)のほうがまだよかったんちゃうかと、わしは思うてた。竹中に継がせるより、中山のほうが良かった。

 あとは、一和会で出るときに、加茂田組が独立する可能性もあったことも言うとくわ。わし自身も、そう口に出して言うてたしな。ほんまに一本で行ったほうが、良かったかもわからへんな。そりゃあキツいやろうけど。あの地域(福原)を押さえていれば、加茂田の名前でそれなりに食えていけるしね。

 で、頃合いを見計らって山口組に帰ればええ、と思ったんやけど。そこらへんは、わしは不器用やった。やっぱり、頼まれて喧嘩で頼りにされたら、わしの力を見せたろ、と思うてまうんや。

山広が懐に手榴弾を──身を捨てての説得

 一和会に参加した理由は、ずっと言わなかったんやけど、あのときは首を縦に振るしかなかった。さっき、山広が電話してきて会うたという話をしたが、そのときの話や。

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