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懐に手榴弾を忍ばせて…「首を縦に振らなかったらピンを離すぞというわけや」山一抗争の主要人物が語る、抗争勃発の“裏側”

『烈侠』より#1

2022/09/16

genre : 社会, 働き方, 読書

note

 四代目の襲名の手続きでいえば、6月5日の定例会で決まることになっとったが、実は2日前に決まっとるわけや。これはおかしい。稲川総裁が神戸に来て、姐さんが「お父ちゃんの遺志で、竹中を四代目にする」と、その場で稲川総裁の了解をとりつけてる。稲川総裁に「ついては後見をお願いします」と頼んでるわけやろ。そこまで決められとった。

 せやから、(竹中四代目の誕生に反対する)わしらが5日の定例会に出れば、ひとこと言わなならん。「一度も直系の者たちで話し合いがないのに、なんで勝手なこと決めとるねん」と。順序が違うやないかと。道すじがおかしいやろと。そしたら、竹中を推す連中は、「お前らは姐さんの言うことを聞けんのか」「稲川総裁が後見すると言うとるのに、恥をかかすんかい」とくるやろ。そうなったら、修羅場やろが。その場で殴り合いや。

 わしらは田岡の親分のおかげでここまで来れたんやから、その大恩のある親分の家で喧嘩騒ぎを起こすわけにはいかん。だから定例会は欠席した。確実に罵り合いや殴り合いになるのがわかっとったからや。

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 それと、わしらは竹中の盃を受けたわけやないから、言葉の正しい意味では山口組の分裂ではないんや。四代目を認めんから「離脱」したわけであって、逆盃をしたわけではない。だから「義絶状」とかいうのは、本来成立しない。竹中とは親子やないんやから。

[義絶状とは?]

 義絶状とは、山口組から分裂した一和会に対し山口組が出した状である。この状は本来は個人に出されるものであり、これを組に対して出すのは極めて稀なことである。

 

 この状の種類には破門、絶縁、除籍、引退などの種類があり、破門状には黒字破門、赤字破門がある。黒字破門の場合は期間をおいて破門が解除される。その場合は復縁状などが配られる。赤字破門は絶縁と同等の意味があるが、人を立てての復帰の可能性がある。除籍は組織に対しての貢献がある人間に対しての処分であり、引退は言葉通りのものである。

「あんなとこは信用できん」手打ち破りは2、3回あった

 わしらが山口組と別れる前後の話や。竹中とわしが話し合いをしたんや。そのときはまだ別れてなくて、竹中と加茂田と四国高知の豪友会な、それでうまく収まってた。ところが、ある人間がごちゃごちゃして、死んでもうたんや。で、神竜会が竹中とおかしくなった。

 神竜会は、元は加茂田組やから。結局、竹中と別れたのには、その対立にわしも巻き込まれたというのもある。それで別れて、神戸に帰ったら、すぐに山広から電話がかかってきて、山広に会うた。それで、山広と手を組むことになっていったというのが本当の話や。このあたりは誰も知らん思うわ。わしと山広だけの話やったから。

 あと、竹中についていく気にならんかったんは、割れてどうこうなりそうやった時期、わしは兵庫病院に入院しとかんと捕まりそうなことがあって、偽装で入院してたんやけど、そのときに竹中と姫路の木下会の枝と、ちょっと揉めたことがあった。それをいったん手打ちしたら、向こうは手打ち破りをしたわけや。せやからもう、あんなとこは信用できんと。しかも手打ち破りは2、3回あった。(竹中についていかなかったのは)そういうのもある。

 竹中は機転がきくというか、細田組が潰れたとき(昭和五58〈1983〉年7月)に、西脇組と竹中組が細田の若い衆を吸い上げたことがあってな。そんとき、わしに細田から電話がかかってきて「兄弟、来てくれ」と言う。「いま、竹中の兄弟と西脇の兄弟がうちの組に来てる」と。

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