1ページ目から読む
2/3ページ目

「時系列ではない」時間

 長回し撮影ならではの緊迫感にあふれたシーンはいくつもあるが、前半とくに印象に残るのが、スーパーマーケットでのシーンと百合子が小学校に迷い込んでしまうシーンだろう。

「スーパーマーケットで同じ商品を何度も手に取るシーンは、いまやったことを忘れて同じことを何度も言ったりやったりしてしまうという認知症の症例を描いたシーンですね。また、小学校のシーンは、川村さんのおばあちゃんに実際に起きたことだそうです。

川村さんは『なぜ小学校なんだろう?』と不思議に感じたそうですが、あるときふと昔の時間と回路がつながってしまうことがあるんでしょうね。私たちは、これは今日の話でこれは昨日の話、というふうに日々の営みを時系列でとらえているけれど、認知症になるとそれがバラバラになり、自分の意識のなかに残るいちばん好きだったこと、つらかったことなどが前面に出てくる。

ADVERTISEMENT

でも考えてみると、認知症の方にかぎらず、私たちってそういうふうに頭のなかで編集しながら生きていますよね。自分の都合のわるいことは捨てちゃったり、すごく嫌なことばかり何度も思い出したり」

記憶の断片に触れる瞬間

原田美枝子さん ©文藝春秋/撮影=山元茂樹

 原田さんのお母様のヒサ子さんは晩年、認知症を患い、自分の記憶と娘の記憶を混同することも多かったという。原田さんはそんな母の姿をとらえた短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』(2020)をみずから監督してもいる。

「ある脳科学者の方がおっしゃっていましたが、認知症の方は、たとえば目の前にいる人が誰なのかわからなくても、その人が自分にとって大事な人であることはわかるそうなんですよ。記憶じたいはちゃんと自分のなかにあるんですね。それは母を見ていてもわかりました。

だから、家族である私たちが『あの料理、美味しかったね』とか『あの服、とっても似合っていたわね』とか話しかけるなかで、ちょっと本人の心の琴線に触れることがあると、その瞬間にワッと思い出したりする。そういうことは介護をしてくださる第三者の方との間ではなかなか難しいですよね。

いま目の前にいる母のことはわかっても、過去の思い出までは共有できませんから。だからこそ、私たち家族は、そういう記憶の断片に触れる瞬間を大切にすべきだろうと思っていました」