勝共連合は、同じく「反共」の岸信介元首相ら日本の保守政治家と共鳴し、彼らとの関係を濃密なものにしていく。
北朝鮮の狙いとは
そこから劇的な転換を迎えたのは、91年のことだった。文氏が北朝鮮を電撃訪問したのだ。
朝鮮半島事情に詳しい研究者が解説する。
「91年は、ソ連と東欧社会主義体制が崩壊し、北朝鮮が国際的な孤立を深めていた時期です。北朝鮮出身の文氏としては、故郷に錦を飾りたい思いもあったでしょう」
文夫妻ら統一教会一行の訪朝は、同年11月30日から12月7日の8日間。約40年ぶりに故郷の地を踏んだ文氏は、生き別れていた姉妹ら親族と再会し、定州に残る生家も訪ねた。
だが、北朝鮮の狙いは統一教会の潤沢な資金にあった。一方の文氏も、冷戦終結を機に、打倒ではなく経済援助によって北朝鮮に食い込もうと目論んだ。
金正日の教育係になった文氏
当時を知る教団関係者が打ち明ける。
「極秘の予備交渉で、北朝鮮側は、文氏を受け入れる条件として1億5000万ドルの献金を求めました。統一教会側はその23倍にあたる総額35億ドルの資金援助を提示。当時の韓国政府も知らなかった文氏の平壌入りが実現したのです」
日本円にして、約5000億円。その原資が日本を中心とした信者の献金や霊感商法による利益であるのは言うまでもない。
そして12月6日に行われた金氏との会談で、文氏は北朝鮮の観光開発や経済協力等を約束。冒頭で紹介した垂れ幕の写真は、この時に撮影されたものだ。
歴史的な対面を果たした2人は、その場で義兄弟の契りを交わした。年齢は金氏が8つ年上。会談で交わされたやりとりを、統一教会の大江益夫広報部長(当時)は後々、小誌にこう明かしている。
「文先生は『私のお兄さんになってください』と言い、金主席が『いいでしょう』と答えたそうです。そこで文先生が『私たちは義兄弟です。お兄さんに頼みがある。これからはあなたの息子(金正日氏のこと)の教育を私たちに任せてください』と言いました。金主席は『分かりました』と答えたんです」(94年7月28日号)
当時、統一教会の信者だったジャーナリストの多田文明氏は、文氏の方針転換をこう受け止めたという。
「それまで北朝鮮は『サタンの国』という位置付けでした。統一教会には『恩讐を愛する』という教えがあり、金氏との会談は『そのサタンがメシアの愛によって屈服した。さすがメシアだ』というのが、当時の信者たちの感覚です。これを機に文氏が南北統一を果たすのではないかとすら思いました。実際はお金の力だったわけですが……」