「統一教会は、韓国では経済団体の側面が強い。宗教と産業の宗産複合体です。文氏は経済協力を約束して訪朝を果たしましたが、統一教会が出資して、北朝鮮との合弁企業『平和自動車』を設立したのは98年。社長に就任したのが統一教会幹部の朴相権氏でした」
北朝鮮で自動車を製造する
ベースは、イタリアのフィアット社製の小型セダン車。2002年4月、北朝鮮南浦市の工業団地に組み立て工場が完成し、操業が始まった。北朝鮮国産自動車第1号に命名されたのは「口笛(フィパラム)」。平壌市内に初の商業看板が設置され、話題を呼んだ。
他方、日本では1970年代から80年代にかけて、北朝鮮による拉致が繰り返され、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成されたのは97年のこと。保守政治家はこぞって拉致問題を政治課題として取り上げるようになった。
「98年にテポドン1号が日本海に向けて発射されると世論は反北朝鮮で沸騰。食糧援助の凍結や経済交流の停止など、北朝鮮への独自の制裁に舵を切りました」(政治部記者)
その裏で、統一教会は日本人を中心に吸い上げた金を、北朝鮮に援助し続けていたのである。
だが、やがてダイナミックな連携もなくなり、2011年12月には、金正日氏が他界。翌12年9月3日、朝鮮半島統一を夢見た文氏も、92歳で生涯を終えた。
長らく掲げてきた「反共」は看板だけだったのか
金正恩氏が後を継いだ北朝鮮側は同7日、平壌の万寿台議事堂で文氏に「祖国統一賞」を授与する行事を開催。統一教会側からは文氏の7男・亨進世界会長が出席した。
「その2カ月後、平和自動車社長の朴相権氏は、会社の経営権を北朝鮮に無償譲渡し、自動車事業から撤退しました。統一教会が関わってきた普通江ホテルや安山館の経営権も、北朝鮮に戻しています」(前出・教団関係者)
以降は、文氏の死去から1年の13年、3年の15年、そして今年と、北朝鮮から統一教会側へ弔電を送る、形式的なやりとりが続いている。
「総裁の韓鶴子氏は、文氏ほど北朝鮮に関心がないようです」(前出・李策氏)
ただ、北朝鮮のロイヤルファミリーが3代にわたって、統一教会との関係を維持しているのは事実だ。13年には、金正恩氏から統一教会側に北朝鮮産の豊山犬2匹が贈られたことも分かっている。雌雄の犬は共に北朝鮮で生まれた文夫妻の故郷に因んで「定州」「安州」と名づけられた。
これまで対北事業に莫大な投資をしてきた統一教会。前出の多田氏が指摘する。
「統一教会は長らく反共を掲げてきながら、『愛』という理屈で北朝鮮と手を結んだ。そして、反日の立場でありながら、日本の保守政治家を支援し、味方につける。機を見るに敏ともいえますが、要はご都合主義なんです」
日本の保守が群がった文氏の「反共」は看板だけのものだったのである。