無意識データ民主主義とは何か
成田 そのふたつのバランスが大きく崩れ始めたように見えるのが、ここ四半世紀という気がしています。それ以前の世界には、冷戦的な政治や経済制度の二項対立があった。その対立が一見なくなって、冷戦後の世界に入ったあたりから、なぜかその二項対立で勝利したはずの資本主義+民主主義陣営の機能不全が始まっていると、少なくともデータとかさまざまなエピソードからはそう見えるわけです。
その問題意識が、間接的にいろいろなかたちで語られることはあったんですが、いま世界が抱えている大問題のひとつとして明確に議論されることはあんまりないな、という印象があったんですね。なのでそこから話をはじめてみたかったという感じです。
先崎 イェール大学ではこの本のような内容のことを授業で教えられているんですか?
成田 いえ、まったく教えてないです。
先崎 向こうではどんなことを?
成田 僕は研究者としては、定量的なデータを扱う社会科学の研究と、それと結びついた情報科学とか統計学の研究の混ぜ合わせのようなことをやっているんですね。そういう意味で言うと、この本にあるタイプの議論が研究としては認められなくなってしまった領域にいるんです。よくも悪くも科学化されエンジニアリング化されたような領域です。
だから大学ではこの本に書かれているようなことをまったく教えてないですし、学術研究でもやっていない。そういう意味で、この本では自分の狭い意味での専門性とはあまり関係のない、自由学芸のような気分で書いてみた感じがあります。
先崎 成田さんの本に書かれている無意識データ民主主義という言葉は、そういったご自身の研究の領域とも響いているんじゃないかと、僕は思ったんですけど、どうでしょうか。
成田 そういう意味で言うと、間接的な関係はある感じですね。この本の最初のほうで議論されている、さきほども話した民主主義と資本主義の二人三脚の機能不全、それがデータではどういう形に現れているのか、検証している部分は、自分の研究者としての専門性と直接にかかわっている感じはあります。その意味では、この本の10%、20%くらいは研究者としての自分から出てきている部分なのかなと思います。