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《九州3児遺体》「ママのところに行けよ!」「パパがいい」加害父自ら語る“それでも息子への死に至る暴行を止められなかったワケ”《初公判》

田中涼二被告拘置所インタビュー#1

genre : ニュース, 社会

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「1回の暴行が2回、3回と増えていきました」

 田中被告の両親はすでに他界し頼るべき友人もいなかった。事件発覚後、子育てに悩んだ田中被告が「子供がご飯を食べない、どうしたらいいか」などと児童相談所へ相談していたことも報じられている。

「忙しい中、作った食事を吐くことが何度もありました。鍋をしていても、鶏肉の皮とかを口いっぱい頬張って、鍋の中に吐いちゃうんですよ。下の子2人もやりたい放題でなかなか言うことを聞いてくれないなか、大翔にばかり当たってしまった。

 ストレスから自分が自分ではなくなるような感じで、1回の暴行が2回、3回と増えていきました。昔からキレてしまう性格ではあったんです。足を蹴ったり、顔や背中を叩いたり……。今思えば本当に可愛そうなことをしました。でも、その時はどうしても止められなかった」

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 大翔くんへの暴行は激しさを増していった。大翔くんの傷は増え、特に足はひどく腫れるなどして人に見せられないほどになっていた。自らの暴行を隠すため、大翔くんに学校で「ジャングルジムから落ちた」などと説明させていた。そして2月8日を最後に、大翔くんは通っていた小学校に姿を現さなくなった。

「怪我が酷く体調が悪かったので学校は休ませましたが、自宅にいると訪問してくる児相にDVを気づかれてしまう。それで子供たち3人と、外を点々とする生活をはじめました」

田中容疑者 ©共同通信社

「大翔は『パパがいい』と言ってくれていたのに……」

 そんな生活のなか、大翔くんは亡くなってしまう。死因は外傷性ショック死だった。

「大翔が死んでしまったのは2月16日です。夕方だったと思います。福岡県小郡市のあたりにいました。その1、2時間くらい前に大翔が車の中で失禁してしまったんです。トイレに行きたいのなら言えばいいのに、いつも突然なんです。それで、車の中などで殴る蹴るの暴行を加えました。そして、眠るように死んでしまった。

 今冷静になって思えば、なんで暴力をやめられなかったのか。後悔しかありません。暴力をふるいながら、『ママのところに行けよ!』などとも怒鳴りましたが、それでも大翔は『パパがいい』と言ってくれていたのに……」

 田中被告は涙ぐみ、時折声を詰まらせながらそう話した。この後にとった行動が、さらなる悲劇を生んでいくことになる。

「一緒に車に乗っていた蓮翔、姫奈は、大翔が死んだことには気づいていなかったと思います。頭が真っ白になりました。そして、こんなことをしてしまった自分はもう死ぬしかないと思いました」

 そして田中被告は、蓮翔ちゃんと姫奈ちゃんを連れて、“最後の旅行”へと出発したのだ。

#2へつづく)

《九州3児遺体》「ママのところに行けよ!」「パパがいい」加害父自ら語る“それでも息子への死に至る暴行を止められなかったワケ”《初公判》

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