文春オンライン

2022/10/02

 健康な歯を抜かれるくらいなら、まだ親の悪口を書いた方がマシだと感じるかもしれないが、そいつはそれには耐えられないと思ったのだろう。別にそれを手紙として出されるわけではないが、部屋のみんなに読まれてしまう。それよりは歯を抜く方がまだいいと判断したのだろう。

 医務室に申告して、歯を一本抜いてもらった。

 そんなことをしたからといって、部屋長が何か得をするわけでもない。単なる気分。ストレス解消のゲームなのだ。

 受刑者どうしでどうにもならないのなら、もっと上、刑務官に訴えたらどうか、と思う人もいるだろう。確かにそうすれば、舎房内で問題を起こしたということでイジメた側に懲罰が課され、工場を移される可能性はある。

 ただしそうしたら、仲間内で「あいつは先生にチンコロした」という噂がはびこってしまう。言った者の立場は最悪となり、一人だけでなく複数がイジメを仕掛けてくることになるだろう。

 このような構造の中で、イジメがなくなることなどあり得ない。ヘタに良心を発揮することなく、じっとしているのが結局は一番なのだ。

「トンデモナイもの」を食わされることも…

 舎内掃工場の後、僕は内掃工場に移動になった。前者が建物内だったのに対して、今度は建物の外を掃除する仕事だ。

 実は、ちょっとしたことが問題になっての移動だった。

 同房の友達どうしで本の貸し借りをしていて、彼は移動になったのだが、うっかりして返すのを忘れていたのに後で気がついた。それでとりあえず自分の本棚に並べておいたのだが、「総検」(刑務所内の一斉検査)で見つかってしまったのだ。

 懲罰まで食らうことはなかったが、僕はもともとここの先生に嫌われていたらしく、それで移動になった。「番手」もこれで一からやり直しだ。

 ここにも別な、Mというイヤな奴がいた。

 刑務所の敷地はむちゃくちゃ広く、芝を刈るだけで大仕事になる。木の枝を切ったりという剪定の作業もあった。穴を掘って、除草した草をそこに埋めるのも仕事の一環だった。

「おい、なんでこんなとこに穴掘ってんだよ」

 Mが、僕より一つ下のHにカラみ始めた。Hは性格もよく、僕とは仲よくつき合っていた。

 確かに掘る場所がちょっと違ってはいたが、別に作業に大した支障が出るわけではない。

「おい、後藤。お前ちゃんと指導しなかったのかよ」

 僕は立場的に、Hに指導すべき立場ではあった。だがこのくらい、放っといても構わないだろうと判断したのだ。そこにカラんできたのだった。

「はい。まあ」

「お前、自分の立場がわかってんの。それともこんなのにも気づかなかったの」

 言い返せないことを知ったうえで、ネチネチ責め立ててくる。本当に最低の奴だった。

「おい、これ食えよ」