「自分のことは自分で決められると思っていました」
実際の被害者たちの中には、Wから命令されてナンパをした塾生があんまり必死なので気の毒になって応じた人もいた。逮捕された他の塾生たちは裁判で被害者を「Aさん、Bさん、Cさん」と呼んだが、Wだけは「女A、女B、女C」と呼び、法廷でも自分勝手な主張を繰り返して被害者を苦しませた。
被害者の一人は意見陳述で次のような内容を語った(録音のできない法廷での聞き取りなので原文そのものではなく、要約となる)。
この事件が起こるまで私は自分のことは自分で決められると思っていました。自分の意志に反し、よりによって複数の男性からレイプされることは、全く予想していませんでした。
今でもひとりでいると涙が出ることがあり、心療内科に通っています。
法廷でも被告に言いたい放題言われ、(事件時の)意識がないときに死んでいればよかったと思いました。
(Wはこれまでの裁判で被害者らから好感を持たれており、同意のある性交だったと語ったが)私は被告を「若作りのおじさん」としか思っていませんでした。
私がシモネタを話していたからセックスにも同意があったかのように語られましたが、シモネタを言うことと、性交に同意することの間には高い壁があります。
(Wや共犯者に対して)魅力を感じておらず、女としてかわいいと思われなくてもよかったからシモネタを話していました。
被告人(Wのこと)は、クラブでの会話から性交時までテープをまわして録音し、一部は録画も撮っています。その理由を「冤罪に巻き込まれないように」と説明しています。そうであるなら、私が「Hしたい」と言ったり、誘ったりする発言の録音が残っていないのはなぜですか。私はそのような言動をしていないからです。
被告は、私がかまってほしくてわざとドリンクをこぼしたとか、欲求不満で自分から性行為したとか、私のことを頭のおかしい人のように侮辱しています。
私のことをなぜそのようなキャラクターにしなければいけないか、わかっています。私を頭がおかしくて信用できないような証言をする人にする必要があるからです。
被告は、私たちのことを裁判で「女A」「女B」「女C」と呼びました。まるで女性であればそれだけで見下しているように感じました。
ナルシスト過ぎて気持ち悪い。女性のことを同じ人間と思っていないと感じます。
できることなら刑務所の中で死を迎えてほしいと思います。少しでも長く刑務所に入れてください。
彼女の言葉の最初に「私は自分のことは自分で決められると思っていました」とある。
レイプという行為の最初の段階で行われるのは、決めつけられることなのだと思う。そのような暴力を行っていい対象であると決めつけられることから始まる。
Wの共犯者となった塾生の中には、「女性を泥酔させて性交に及ぶのはイヤだ」と思い、途中で帰らせてほしいと言った人もいた。結果的に彼はWとの力関係により帰ることができずレイプに及ぶのだが、そのときの心境を「塾長(W)の顔をつぶしたらいけない」と思い、「塾長のトークを近くで見られる機会だ」と自分を納得させたと裁判で語った。
そのような状況で行われる行為はなおさら、女性を感情や人格のないモノだと決めつけなければ行えなかっただろう。
「女性は〇〇」「男性は××」という語り方はネットの一部では「主語が大きい」と懸念されがちだが、一方で恋愛指南術は今でもウケるコンテンツの一つである。
それが徐々にエスカレートするのは、対象属性への敬意がない決めつけの方がわかりやすく面白いと感じる人がいるからなのだろう。わかりやすく面白いものに潜む凶暴な決めつけを、私は警戒したい。