文春オンライン

2022/09/25

現場の声を受け止め、日向キャンプ1本化を実現

 サイパンからの撤退となると、代表とはいえ、近鉄グループのいち社員である足高さんの一存では決まりません。渋る本社との調整に奔走し、現場の切実な思いを伝えてくれました。

 足高さんはかつて高校球児だったこともあり、野球への情念、そして我々現場への理解がありました。学年は私より一つ上。私の前の、鈴木啓示さんや佐々木恭介さんら年上の監督には気を使うことの方が多かったのでしょう。初めて接する年下の監督である私に「何とかしてやりたい」との一心だったようです。

足高圭亮氏

 就任から1年近くたった9月下旬、日向キャンプへの一本化が発表された時は足高さんに言うことはありませんでしたが、「ここまでしてもらったからには、来季は何が何でも結果を出さないといけないな」と気持ちを新たにしたことを、よく覚えています。

年俸高額な三沢トレード「責任は私が取ります」

 翌01年、チームは開幕から「いてまえ打線」が猛威を振るいました。半面、投手陣は最終的にリーグ最下位の防御率4.98という数字だったわけですから、常に不安定でした。そこで私はシーズン序盤に、巨人の三沢興一投手に目を付け、自軍の真木将樹投手を軸としたトレードを足高さんに持ちかけたのです。

 巨人からも「三沢放出」に好感触を得ていました。しかし、ここで一つ問題が生じました。三沢投手の年俸が高額で、真木投手とは釣り合わなかったのです。当時の永井充球団社長は「トレードして(三沢投手が活躍しないで)失敗したらどうするんだ」と、足高さんに詰め寄りました。すると、足高さんはこう言いました。

「私が責任を取ります」

 こうして6月下旬に両投手を中心とした2対2のトレードが成立しました。

 三沢投手は近鉄入団後、無傷の7勝をマークしました。リードされた展開からリリーフで登板することが多く、三沢投手が持ちこたえているうちに打線が奮起するという勝ちパターンが出来上がりました。紛れもなくリーグ優勝の立役者の一人でした。足高さんに無理を言って獲得してもらって良かったと、心の底から思いました。

バファローズ監督時代の梨田さん(一番左) ©文藝春秋

 プロ野球の世界では、親会社からの出向のケースが多い球団代表と、期間で契約している監督はとかく意見が食い違うものです。足高さんとは、たとえそうでも腹を割って話せたし、妥協点を見いだすまで突き詰められたと思います。あれほど現場のために身を粉にしてくれたフロントマンを、私は知りません。その後、指揮を執った日本ハム、楽天との関係は、私が両球団の出身ではないこともあり、もっとビジネスライクでしたので、足高さんとの関係は特別なものでした。