――政府は国民に対して、半旗の掲揚や黙とうのような形で弔意を示すことを要求したりしているのですか?
宮間 この時期には、国を挙げて半旗を掲揚するとか、決まった時刻に黙とうするという文化がまだ定着しておらず、大久保の葬儀に際して「弔意の強制」が問題になったという記録はありません。全国で追悼会とか遥拝祭が行われはじめるのは後のことです。弔意の強制があったとしても、必ずしも現代のように個人の思想の自由が重んじられる時代ではないので、内心の自由の侵害になるという話にはならなかったと思いますけどね。
――国葬に反対した勢力はいたのでしょうか。
宮間 「なんで大久保の葬儀を盛大にやるのだ」と明確に主張した反対勢力がいたという記録は発見できていません。政府は反乱分子の出現を恐れて密偵(スパイ)を各地に派遣して情報を集めていましたが、そうした動向について伊藤は「心配していたほどではなかった」と述べています。また、大久保の葬儀は主権者である天皇の名のもとに行われたので、表立っては反対できない状態でした。犯人が出した斬奸状を掲載した新聞はありましたが、反政府分子のメッセージを発信したとして、発禁処分にされてしまいました。
――葬儀にあたって世論というか、国民の声を聞こうという意思は政府にはなかったのですか?
宮間 当時の権力者たちは、そんなことは考えもしなかったのではないでしょうか。その後、戦前・戦中に行われた国葬も天皇から賜るものであり、国民主体の儀式ではありませんでした。
天皇は参列しなかったが、使者を派遣
――国葬は天皇の名のもとで行われた葬儀とのことですが、実際に明治天皇は参列されたのでしょうか。
宮間 先日のエリザベス女王の葬儀に参列したことが話題になりましたが、天皇が葬儀に出席するのは異例で、基本的に人の葬儀に参列しません。少なくとも近代以降、臣下の葬儀には参列したことがありません。なので、大久保の葬儀にも参列はしていません。ただ側近を現地に使者として派遣して「追悼しているぞ」という意思を示すとともに、祭粢料(香奠に相当するもの)や供物などを届けています。
――大久保の暗殺犯である島田一郎は元陸軍軍人です。安易な結びつけは避けるべきですが、安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者が自衛隊に所属していたことを想起させます。