文春オンライン

「クラシックをやったって飯は食えないからやめろ」戦後のミュージシャンにとって「ジャズ」こそが豊かな暮らしの近道だった理由

『芸能界誕生』 #1

2022/10/01
note

 年間7000円の学費を払えず、単位も取ることができなかった晋は、大学に見切りをつけ、音楽で生計を立てることを決意する。1948年のことだ。晋は東京駅の丸の内北口に出かけていくのが日課になった。

 そこには毎日「U.S.Army」と書かれたトラックが何台もやってくる。トラックはその日のショーで演奏するバンドマンをキャンプに連れて行くためのものだ。“売れっ子”のバンドにまず声がかかり、その後、足りない要員を補っていく。晋は「スイングボックス」というジャズバンドのメンバーとなった。単独でいるより、バンドの一員のほうが有利だからだ(※3)。

「トランペット吹けるやつはいるか?」

ADVERTISEMENT

 そこで手を挙げればその日の仕事にありつける。中には楽器すら弾けない“立ちん棒”などと呼ばれる者もいたが、何しろ人が足りない。数合わせのため連れて行かれることもあった。

米軍キャンプで育ったミュージシャンたち

 こうしたバンドマンを集めトラックで迎えに行く仕事は俗に「拾い」と呼ばれた。市場が生まれると、新たな仕事が生まれるのは自然の摂理。そのひとつが「楽器の一時預かり所」。その名のとおり、バンドマンが「拾われる」までの間、楽器を保管してもらう場所だ。東京駅北口と並ぶ「拾い」の拠点だった新宿駅南口にも3軒の「預かり所」ができたという(※2)。

 そんな新宿駅南口に通っていた者のひとりが、かまやつひろし(ムッシュかまやつ)だ。彼は高校生になった1955年頃から新宿駅南口に通うようになった。かまやつは以下のように回想している。

ムッシュかまやつ ©文藝春秋

 新宿の南口にあった小荷物預かり所に楽器を預けておき、夕方四時とか五時に新宿駅南口に行くと、兵器や弾丸を運ぶ米軍のトラック、ウェポン・キャリアがやって来る。そこに手配師がいて、集まっている連中に声をかけるのだ。

「今日は上瀬谷のオフィサーズ・クラブでカントリーやるぞ。ヴァイオリン弾けるヤツいるか」

「きょうは厚木だ、ギターはいるか、ベースは? ドラムは?」

 そういいながら、一人ひとり拾われていき、そこで初めて会った連中と、ウェポン・キャリアに乗せられて、キャンプや、わけのわからない米兵専用の酒場に連れて行かれ、演奏して帰って来る。そういう、ちょっと恐い“拾いの仕事”をずいぶんやった。カンペキに日雇い労働者である(※4)。

 そのようにして、ミッキー・カーチスや平尾昌晃、雪村いづみ、江利チエミ、寺内タケシ、クレイジーキャッツ、堀威夫、相澤秀禎、そして田邊昭知……、数多くのミュージシャンが米軍キャンプに「拾われ」て、育っていったのだ。

※1:長門竜也『シャープス&フラッツ物語』(小学館)

※2:東谷護『進駐軍クラブから歌謡曲へ』(みすず書房)

※3:軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』(文藝春秋)

※4:ムッシュかまやつ『ムッシュ!』(文春文庫)

芸能界誕生 (新潮新書)

戸部田 誠(てれびのスキマ)

新潮社

2022年9月20日 発売

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

「クラシックをやったって飯は食えないからやめろ」戦後のミュージシャンにとって「ジャズ」こそが豊かな暮らしの近道だった理由

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー