「クラシックをやったって飯は食えないからやめろ」
終戦から間もない頃、日本のミュージシャンたちの多くが「ジャズ」に傾倒していった理由とは? ライターの戸部田誠氏の新刊『芸能界誕生』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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戦前派と軍楽隊出身者たち
「これからはズージャだ。ズージャをやれよ」
「ズージャって何?」
「ジャズだよ。ジャズをやったらサンドィッチは食えるし、コーラは飲めるし、ルービーだって飲めるんだぜ(※1)」
海軍軍楽隊員だった原信夫は18歳で終戦を迎え、途方に暮れていた。楽器の練習は欠かさなかったが、プロになるといった確固たる思いを抱けるような状況ではなかった。そんな時、軍楽隊仲間から「東京で音楽活動をしていて仕事もあるから出てこないか」という便りをもらい、すぐにアルト・サックス一本を持って上京。
友人の紹介で帝国劇場の専属オーケストラ「東宝交響楽団」のオーディションを受けた。だが、オーディション会場を出ると、別の軍楽隊仲間のフルート奏者・野沢猛夫とばったり遭遇したのだ。「今、オーケストラのテストを受けてきたばかりなんだ」と原が言うと、野沢はきっぱり言い放った。
「クラシックをやったって飯は食えないからやめろ」
東京は空襲で焼け野原。クラシックを演奏する機会なんてほとんどない、これからはジャズの時代だと。