子どもの犯罪や非行、問題行動の背景には、虐待や育児放棄、貧困などのわかりやすい問題だけが関係しているわけではない。実は、親がよかれと思って投げかけた言葉が「呪いの言葉」となって子どもの未来を壊してしまう場合も多いのだ。
ここでは、1万人の犯罪者を心理分析してきた犯罪心理学者・出口保行氏の著書『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』(SB新書)から一部を抜粋。父親に「早くしなさい」と急かされ続けて育った女性、ユカが辿った“悲惨な末路”を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
※守秘義務の関係上、本記事の事例は事実に基づいたうえで一部改変しています。
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「早くしなさい」と言われ続けて育ったユカ
ユカの父親は38歳のときに独立して以来、夫婦で小さな鮮魚店を営んでいた。小学校高学年にもなると店の手伝いをするのが当たり前となり、サークルや部活に入ることもなく、毎日学校から帰ってきては店頭に立った。とくに夕食前の時間帯は店が忙しく、ユカがいなければまわらなかった。
「ユカ、次はこれ。早くな」
お客さんには愛想(あいそ)のいい父だが、ユカには厳しかった。せっかちで、常に「早くしなさい」「次はこれをしなさい」と指示をしてくる。思い通りにいかないと手が出ることもあり、母親は自分に火の粉が降りかからないように見て見ぬふりをすることが多かった。自分を助けてくれない母親を恨んだが、どうすることもできない。
そんな生活の中で、ユカはいつも目先のことをどうやり過ごすかが重要だと考えるようになっていった。
高校を卒業すると、地元の大学を避けて東京の大学へ進学した。とくに学びたいものがあったわけではなく、両親のいる店から逃れたかったからだ。両親は学費の援助はしてくれたが、生活費は自分で何とかする必要があったため、ユカはアルバイトをかけもちして働いた。しかし、とにかく両親から離れたことが嬉しく幸せだった。
大学ではとくに目標を持つこともなく、講義には遅刻ばかりしていたが、なんとなく乗り切れればそれでいいと思っていた。
いくつかのアルバイトの中でユカが気に入ったのは、ある会社の経理の仕事。せかされることもなく自分のペースで仕事ができ、ミスをしても自分でごまかせる。しかも、アルバイトの身でありながらかなりの金額の出納を任されることが醍醐味(だいごみ)となり喜びとなった。
大学3年生のとき、同じ大学内ではじめて恋人ができ、ほどなくして同棲(どうせい)するようになった。彼は大学院へ進み研究者を目指していたが、博士課程を終えてもなかなか就職ができない。ユカは大学を卒業してから食品会社に就職し、彼との生活を支えるようになった。最初に配属されたのは営業系の部署。先を読みながら行動することが苦手なユカは成績を上げることができず、事務系の仕事へ異動の希望を出した。
3年目からは希望通り経理の仕事に就くことができた。アルバイトの経験もあったので飲み込みが早く、徐々に任される範囲が大きくなってきたときのことだ。