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「霊安室で握った妹の手の温かさが妙に気持ち悪くて…」養父と実の母から壮絶な虐待を受けて4歳の妹を失った男性が語る、今も忘れられない“感覚”とは

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 妹の百合ちゃんの命を直接的に奪ったのは義父の暴力だが、母親による暴力も常軌を逸したものだった。

「百合が3歳か4歳の頃に、母に蹴り殺されかけたこともあります。まだ小さくて抵抗することもできない百合のお腹を、母は延々と蹴り続けていました。百合はぐったりしてついには口から血を吐いたのですが、それでも母は蹴るのをやめませんでした。僕は恐怖で固まっていたのですが、血を吐く姿を見て『このままでは死んでしまう』と思い、泣きながら止めに入りました」

 百合ちゃんは幼稚園にも通わず、虐待の痕跡が家庭の外に出ることはなかった。しかし亮太さんは小学校には通っていたため、事態を改善するために行動を起こしたこともあるという。

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「もちろん、何度も交番に駆け込んで助けてもらおうとしました。でも義父は外面だけは本当に良く、『ただの親子喧嘩ですから』と体のいい言い訳を並べると、警察の人がそれ以上は何もしてくれませんでした。義父にすぐに家に連れ戻され、その後は当然“お仕置き”が待っていました」

写真はイメージです ©iStock.com

4歳の妹の頭をタンスが割れるほど強く打ちつけ…

 そして「最大の事件」が起きたのは、年の瀬が差し迫った雪の降る日だった。この日、一家は4歳の百合ちゃんを家に残して外出。亮太さんも連れていかれ、家の外では優しく振る舞う義父らとともに食事をしていた。

「家に戻り、僕は車から荷物を降ろすのを手伝っていました。しかし義父は一足先に家に入ると、百合が空腹に耐えかねて飴玉をなめていたのを見つけて激怒し、百合の足を掴んでジャイアントスイングのように振り回したんです。僕が部屋に入った時には、義父がぐったりした百合を抱えて『百合! 百合!』と叫んでいました」

 百合ちゃんの頭がぶつかったタンスは木製の頑丈なものだったが、取っ手の部分に大きなヒビが入っていたという。そして義父は、亮太さんに驚きの指示を出した。

「義父は僕を見つけると、すぐに電話をかけろと命令しました。しかし救急車を呼べとは言わず、義父の実家に電話しろと言うんです。どうしていいかわからず、自分の両親に助けてもらおうと思ったのでしょう……。僕は幸か不幸か事件そのものは目撃していませんが、タンスも壊れるほどの衝撃なんて、百合はどれだけの痛みを味わったのか想像もできません」

写真はイメージです ©iStock.com

 電話を受けた義父の両親が救急車を呼び、百合ちゃんは都内の病院に搬送された。しかし頭部へのダメージは深刻で、治療の甲斐なく3日後に急性硬膜下血腫で4年間の短い生涯を終えた。当時の報道によれば、百合ちゃんの遺体には重度の打撲ややけどの跡が多く残っていたという。