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アントニオ猪木が「世間の目」と闘い続けた62年…「東スポ」の追悼記事を読んで、私が涙したわけ

アントニオ猪木が「世間の目」と闘い続けた62年…「東スポ」の追悼記事を読んで、私が涙したわけ

2022/10/04
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“一般紙はプロレスをいっさい掲載しなかった。他のスポーツと差別され、世間も色眼鏡で見た”と憤っていた頃の猪木に見せてあげたい。

アントニオ猪木は「魔性の男」だった

 そんな猪木ですが、決して聖人君子でないところもよかった。サンスポの「悼む」(稲見誠)は「魔性の男」と評していた。確かに“自分が一番猪木のことを知っている、考えている”とすべてのファンに思わせてしまうのが猪木だった。その反面、近くにいたら振り回されそう、遠くの客席から見るのが一番だと子ども心にも思わせた猪木。非日常の世界の人の楽しみ方を教えてくれた。

©文藝春秋

 スポニチでは元担当記者の佐藤彰雄氏が猪木を「ルパン三世」に例えていた。初の異種格闘技戦で柔道家のウイリエム・ルスカと闘った際、ルスカは「“殴る蹴る”は事前のルールで禁止事項だった。あれはスポーツマンのすることではない」とぶちまけた。猪木は平然とケンカ殺法を仕掛けたのである。このことについて佐藤氏は、

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《ルスカの正義に応えなかった猪木さんは「ルパン三世」のような人だったと思う。(略)漫画の中でルパン三世は、読者をあざむき、最後の最後まで裏をかいてはほくそ笑み、悪党でありながら憎まれずに愛される魅力的な男だ。》(10月2日)

 私たちファンは幾度も猪木“ルパン”にだまされ、それがまた心地よかった。聖人君子ではないヒーローだった猪木。

 猪木が投げかける謎、行間、生きざまはプロレスファンを鍛えてくれた。いろいろ自分なりに考えるという人生の楽しみは、猪木に教えてもらったと言ってよい。

 猪木は客席から見るのが一番だと思っていた私だが、一度だけ番組でお会いしたことがある。当時私が出版した『教養としてのプロレス』という本を猪木にお渡しした。あとから考えたら釈迦に説法だと恥ずかしくなったが、それだけ舞い上がっていたのだ。私は自分の思いを本にまとめることができたが、猪木ファンの数だけ猪木への思いや見方がある。