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「下り坂の女王」のレガシーとは
世界中から惜しまれ、見送られた女王も、決して順風満帆な道を歩んできたわけではありませんでした。
大英帝国が拡大を続けた19世紀のヴィクトリアを「上り坂の女王」とするならば、エリザベスは「下り坂の女王」。即位の5年前には「イギリス王冠に輝く最大の宝石」といわれるほどの富をもたらしたインド帝国が解体し、1952年に即位してからは、アジアやアフリカの植民地も次々と独立していった。大英帝国は急速に溶解していきました。
そんななか、エリザベス女王は国民とともにイギリスを盛り上げ、大国にとどめてきたのです。
イギリスを頂点とする英連邦という枠組みが廃止された後も、旧英連邦の加盟国すべてが対等な立場となるコモンウェルスと呼ばれるゆるやかな共同体を形成できたのは、エリザベス女王という「求心力」があったから。二度の大戦によってかつて支配・被支配の関係にあった国々と今でもパートナーシップを結び、さらに国民と手を携えて国を維持してこられたことを考えれば、その存在がいかに大きいかがわかります。
女王のレガシーをひとことで表すなら、「王室は国民とともにあり、時代とともに変わらなければならない」と理解していたこと。国葬を見るまでもなく、女王が国民とともに歩んできたことは明らかです。
では、時の国王の次男の娘として王位継承の順位から離れた地位に生まれながら、わずか10歳で突然「未来の女王」になってしまったリリベット(女王の子どもの頃の愛称)に、どうしてそれほどの意識が芽生えたのでしょうか。