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女王が「真に腹をくくった瞬間」とは?

 実は、第一次世界大戦の頃には国民と王室の関係は大きな転機を迎えていました。

 それまで戦地に赴くのは、国民のほんの数パーセントにあたる貴族出身の軍人だけ。国を守ることは、貴族たちによる「高貴なる者の責務(ノブレス・オブリージユ)」とされていました。

 しかし第一次世界大戦に突入すると、国家総動員で戦わなければ勝てなくなった。1916年にははじめて徴兵制が導入され、国を守るのは「国民の責務(ナシヨナル・オブリージユ)」となりました。

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 義務には権利が与えられなければなりません。人々は選挙権を手にし、大衆民主政治の時代がやってきました。王室にもこれまで以上に国民の支持が必要になったのです。

 当時は、女王の祖父にあたるジョージ5世の治世。「国民あっての君主制」を体現する、国民から非常に親しまれた王でした。

 大戦中の4年間を、彼は国民とともに戦い抜きました。軍の閲兵式や軍需工場への激励、負傷兵や看護師たちへの慰問など何百回と足を運び、5万人以上に自ら勲章を授けるため大奔走します。だからこそ、この大戦は国民に「王様と一緒に戦って勝った戦争」と捉えられたのです。

 1936年1月、そんなジョージ5世の正装安置に、9歳だったリリベットは参列します。

「(前略)部屋にいる誰も彼もが黙っていて。まるで王が眠っているかのようだったの」

 彼女は家庭教師のクロフィに、当日の印象をこう語りました。

 正装安置が行われたウェストミンスターホールの前には最大で3キロもの列ができ、100万人近くが訪れました。イギリスのひとつの時代が終焉を迎えた日のことは、幼いリリベットの胸にも深く刻まれたのです。

 また、この葬儀に加え、なにより彼女に「未来の女王」としての覚悟を決めさせたのは、父・ジョージ6世の戴冠式でしょう。

 この日のために特注されたローブと冠を身にまとい、馬車で沿道から何十万という群衆の歓声を浴びたリリベットは、その後、4時間にもわたる儀式を前に、数十年後には自分も座る玉座の重みをひしひしと感じたに違いありません。

 実際、そのわずか2年後に第二次世界大戦が始まりジョージ6世の奮闘を目にするや、1945年には彼女も陸軍の組織する婦人部隊に入隊し、軍用トラックで物資を運ぶ任務に就きました。

 戦争という国の有事に、祖父、そして父が国民と手を携え立ち向かう背中を目にし、女王は王室の在り方を学んでいったのだと思います。ある日突然、大英帝国の王位継承第一位になってしまったことへの戸惑いを乗り越え、真に腹をくくった瞬間とも言えるかもしれません。

関東学院大学教授の君塚直隆氏による「エリザベス女王 世界一見事な終活」の全文は、「文藝春秋」2022年11月号と「文藝春秋 電子版」に掲載しています。

文藝春秋

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エリザベス女王 世界一見事な終活〈現地レポート〉