その日も、不世出のカリスマはリング上で「闘魂」を燃やしていた――。
1995年4月28、29日。北朝鮮の首都・平壌に位置する「平壌5.1スタジアム」で異例の催しが開かれた。
「平和のための平壌国際体育・文化祝典」(通称「平和の祭典」)。10月1日に逝去したアントニオ猪木氏(享年79)率いる新日本プロレスが行った世紀のプロレス興行である。
スターレスラーたちの豪華な熱戦
当時の報道によれば、2日間で計38万人を動員。新日本のトップレスラーだった蝶野正洋、橋本真也、スコット・ノートンらが参戦し、ブル中野vs北斗晶の女子プロレス頂上決戦も行なわれた。
猪木氏は、メインイベントの舞台で、WWE、NWA、WCWの米国3団体のチャンピオンベルトを巻いたリック・フレアーと対戦し、延髄斬り、コブラツイストなど自身の代名詞である数々の決め技を披露して躍動し、詰め掛けた平壌市民を熱狂させた。
猪木氏は、2014年8月30、31日の両日に行われた、自身が率いるプロレス団体IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)の興行で再び平壌の地に立ったが、彼の地でリングに上がったのは、1995年の一度きりだった。
あれから27年。北朝鮮は金正日氏から金正恩氏へと体制が移り、日本の上空を通過する中距離弾道ミサイルを発射するなど不穏な動きを続けている。
モハメド・アリとの異種格闘技戦など規格外の行動力とスケールで人々を魅了した猪木氏。在日朝鮮人の李さん(仮名)は、朝鮮総連関係者を通じて日本からの観戦ツアーに参加し、歴史的瞬間を目撃していた。
その時、現場で何が起きていたのか。
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まずは北朝鮮での興行を実現するに至った経緯を教えて下さい。そう尋ねると、李さんは当時をこう振り返った。
「話が持ち上がったのは、1994年秋頃と聞いています。この祭典をやる事について、猪木さんの事務所の担当者が、北朝鮮の日本側の外交窓口になっていた朝鮮総連中央本部にアプローチしてきたのです。すでに日本人拉致問題が明るみに出ていましたが、大きな政治問題に発展することはなく、今ほど北朝鮮との関係が悪くはなかった。とはいえ、国交のない北朝鮮での興行にはハードルも多く、何度も協議を重ねた末にようやく実現にこぎつけたのです」