当時も今も、国交のない北朝鮮には日本からの直行便はない。このため、通常の渡航ルートは、成田空港を発った後に中国・北京など第三国を経由して入国する必要がある。往復で計4回も飛行機に乗らなければならず、文字通りの「近くて遠い国」である。
北朝鮮の異例の対応「プロレスツアーに強制動員」
ただ、猪木氏が行ったプロレスツアーでは異例の対応が取られたという。
「ツアー期間時には、日本から『新潟発』『名古屋発』『福岡発』の3つのルートで北朝鮮への直行便を飛ばしました。直行便の運航はツアーの目玉でもあったのです。乗り継ぎ便なく日本を離陸後2時間30分で渡航できましたが、旅行代金は22万円を下りませんでした。日本から北朝鮮への観光ツアーは、乗り継ぎありで4泊5日22万円から25万円ほどでしたが、価格はほとんど変わりませんでしたね。ほとんど移動距離が変わらない韓国・ソウル行きのツアーなら、4泊5日で4万~5万円程度です。北朝鮮のツアーはその倍以上かかるわけですから、ツアーに閑古鳥が鳴くのも無理はありません」(同前)
この事態に焦りを募らせたのが、交渉の窓口となった朝鮮総連だった。商業的な失敗以上に、北の最高権力者である金正日氏の面子をいかに立てるかに神経をとがらせたという。
「ツアーに穴を空けるわけにはいきませんから、総連側は、若い職員たちを強制指名して、『渡航費用は無料』という異様な条件付きで強制的に組織命令による動員をしました。飛行機の空席を埋める事に血眼になっていたこともあり、総連とパイプがあった私にもチケットが流れてきた。当時、総連内にはこの祭典に向けた事務局が立ち上がっており、動員された職員はそこから手続きをすることになっていました」(同前)
係員が「拍手をしろ!」と大声で呼びかけると…
プロレス興行はツアー客が到着したその日の夜に行われた。猪木氏らが、北朝鮮の「建国の父」である金日成氏の写真が飾られる会場内のリングに上がる前には、余興も行われたという。
「オープニング式典では、日本の三味線歌手が、1980年にヒットした演歌『帰ってこいよ』を披露していました。ただ、北朝鮮市民らにとってなじみは薄く、拍手はまばら。日本からやってきた観光客がパチパチと申し訳程度に拍手しただけで、歌手の方はさぞ寂しかっただろうなと思います」(同前)