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アントニオ猪木氏「プロレス外交」で北朝鮮がとった“異例の対応”「閑古鳥がなくツアーに強制動員」「延髄斬りが決まった瞬間『拍手をしろ!』と…」

2022/10/07
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猪木の並々ならぬ北朝鮮への「こだわり」とは

 猪木氏と北朝鮮との接点は、猪木氏の「プロレスの師」である力道山(本名:金信洛)との関係から生まれたとされる。力道山は平壌で生まれた後に15歳で来日し、大相撲・二所ノ関部屋に入門し、力士として関脇にまで上り詰めた後にプロレスラーに転じた。

 1950年に勃発した朝鮮戦争で、朝鮮半島が分断した時には、すでに角界で頭角を現していたが突然廃業してプロレスラーに転身。故郷の平壌には現地在住の女性・朴信峰との間に子供ももうけていたという。娘である朴英淑の後の夫である朴明哲(パク・ミョンチョル)は、2010年に体育大臣に就任している。

 猪木氏は、1989年に「スポーツを通じた国際平和」を掲げた「スポーツ平和党」を結党し、参議院議員に初当選を果たすなど独自の政治活動を展開していた。前述した師弟関係にあった力道山の娘や娘婿を通じ、北朝鮮ともパイプを築き、33回にわたって訪朝を繰り返した。猪木氏の北朝鮮興行の目的や意図は何だったのか。

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「猪木さんの朝鮮への渡航は、プロレス祭典も含めて、一度限りではなく、後にも数えきれない程の回数に及んでいます。この事実は、朝鮮との真の外交窓口として何らかの使命感を感じていたからなのかもしれません。実際のところは本人にしかわかりませんが、北朝鮮としては、日本のスーパースターである猪木さんを招聘することへのメリットがあったのは間違いありません。

 力道山との関係についても、猪木さんよりもライバル関係にあったジャイアント馬場さんとの師弟関係のほうが強かったという指摘もあります。それでも北朝鮮にこだわりを見せたのは、猪木さん側にも思惑があったとも捉えられます」(前出・李さん)

©時事通信社

 実際のツアーはいかにして行われたのだろうか。

「ツアーは、朝鮮総連傘下の『中外旅行社』と大手旅行会社のJTBとの共同開催という形で行われ、『朝鮮プロレス観光ツアー』と銘打ったパッケージツアーを売り出しました。ところが、思ったよりも応募者が集まらず、ツアー直前になっても航空便の空席が埋まらなかったのを覚えています」(同前)