1ページ目から読む
3/3ページ目
 
 

猪木さんが持病の糖尿病の療養で足繁く通っていたという、青森県十和田市にある蔦温泉。アントニオ猪木さんと20年来の親交があったという、オーナーの丹野智宙さんは、2人のことをこう話します。

 

株式会社城ヶ倉観光・丹野智宙 代表取締役:
(猪木さんは)やっぱり人を驚かしたり、人を元気にするのが凄く好きな方で、それが生きがいというか

妻の田鶴子さんは、結婚する前からいつもそばにいたといいます。

ADVERTISEMENT

時には体格差のある猪木さんを支える姿も。

 

株式会社城ヶ倉観光・丹野智宙 代表取締役:
血糖のコントロールは毎日、毎時間、30分ごとにしてるようなぐらいで、お薬から何からすべてマネージメントされいて、リハビリテーションもそうだし、医療面でもしっかしサポートされていた印象はありますけどね。とにかく命懸けで支えるという一言。最後の方になって猪木会長が「橋本君」って呼ぶんですけどね。「橋本君には感謝してます」ってなんかそういうコメントが出るようになって。「初めてありがとうって言われた」とかって、そんな感じで喜んでいたのは記憶にあります

 

田鶴子さんを、「橋本くん」と呼んでいたという猪木さん。

田鶴子さんも猪木さんのことを「会長」と呼び、互いに「橋本くん」「会長」と呼び合っていたといいます。

アントニオ猪木さんが2016年に北朝鮮を訪問した際、 カメラマンとして撮影していたのが田鶴子さんでした。取材する側とされる側の関係からスタートした2人ですが、そうした関係が始まって十数年経った、2017年4月に2人は結婚。

 

株式会社城ヶ倉観光・丹野智宙 代表取締役:
成熟された人間関係の中でご結婚されたんでしょうから、いちいち結婚を契機に呼ぶ名を変えるとかあまりしない方かもしれませんね。どちらかというと、一般的な、皆さんがご想像されるようなカップルというよりは、もう少し「尊敬」という言葉に近いようなふうには見えました

 

しかし、2019年、猪木さんを支えた田鶴子さんは、がんでこの世を去ってしまいます。残された猪木さんは、ほどなくして、難病の「心アミロイドーシス」を発症しました。

 

2020年12月、田鶴子さんの石碑の前で両手を合わせながら、猪木さんはこんな言葉をかけていました。

アントニオ猪木さん:
亡くなって1年半が過ぎましたけどね、まさかこんないい場所にこういう碑をね、立ててもらえて。あれから今回は2回目で。たまたま俺も一生懸命頑張って生きてきたけど、世の中は何が起きるかわからない。これから雪がね、積もっていっぱいになると思いますけど。本当に素晴らしい場所で。春は春でいいし、夏は夏でまた涼しいし、秋は紅葉がね、冬はまたこのしんしんと降る雪が素晴らしい、そこで盃を交わしてできたらいいなと思います。それじゃあ安らかに休んでください

 

(めざまし8 10月3日放送)