現在の価値に照らせば、ざっと「4億円」。昭和のビッグカップル、アントニオ猪木と倍賞美津子の結婚式は一体どんなものだったのか?
プロレス&格闘技ライター瑞佐富郎氏の新書『アントニオ猪木』より一部を抜粋。2人の馴れ初めにフォーカスすることで、“燃える闘魂”の意外な一面が見えてきた。(全2回の2回目/前編を読む)
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きっかけは倍賞のキック
「子どものころから学芸会、運動会、お祭りが大好き」
新聞のインタビューにそう語った倍賞美津子は、その後、こう続けた。
「火事も。火事を見ると飛んでいくような娘だった」(毎日新聞夕刊2009年4月4日付)
そんな大女優が1971年、結婚したのが、アントニオ猪木だった。
そもそものきっかけは、倍賞が高級車・センチュリーを蹴り上げたことだった。銀座の路上にこれみよがしに停車していた同車に、酒に酔っていた倍賞がイチャモン。
「なにさ、こんな車に乗って!」とキックしたところ、ちょうど食事から戻って来たのが持ち主の豊登。力道山亡き後、一時エースとしてプロレス界を盛り上げたパワーファイターである。そんなことから知己となるのだから、どちらも豪傑だった。
倍賞の出る松竹歌劇団(SKD)の公演を浅草の国際劇場まで観に行き、その夜、中華料理屋で猪木に改めて紹介した際、「この倍賞って子は面白いんだ」と、豊登が話すと、倍賞は倍賞で、猪木と張り合うかのような一言。
「私も“女プロレスラー”って言われるくらいよく食べるけど、あなた、よく食べるわねー! 本職は違うわ!」
2人はそれ以前に、豊登も同席したホテルニューオータニで出会ってはいたが、最初の私的な会話がそれだった。
以降しばらく間が空いたが、猪木が第二の故郷ブラジルに里帰りした際、友人が言った。
「俺、倍賞千恵子のファンなんだ」「それなら、妹の美津子と知り合いだから、サイン頼んでみるよ」