勉強嫌いだった小学生が、「努力」一つで中高一貫校から慶應大学に進学。大学時代、周囲の反対を押し切ってアイドルになることを選んだ才木が、芸能界でぶち当たった年齢の壁。異能ひしめく芸能界で「自分には何もない」と痛感した才木を救った、伊集院光のメッセージ。
努力はいつか報われると本気で信じた人間だけがたどり着ける、筋肉アイドルという人生譚。 (全2回の2回/1回目から読む)
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――先ほど勉強も筋トレも同じというお話をされていましたが、勉強も好きでしたか?
才木 そうですね……私、ほんと地頭よくないんですよ。でも勉強はできる。それは努力したからです。大学受験もそうですし、クイズも勉強すれば伸びます。でも、ほんとうは頭は良くないんです。
――そんなことないと思いますが……小さい頃から勉強するのは苦じゃなかったですか。
才木 小学校までは苦でした。塾に行っても「玲佳ちゃん、宿題やってきなさい」「ちゃんと勉強しなさい」とめちゃ怒られてて。でも中学高校が一貫校で、お勉強学校だったんですよ。そういう環境に自分の身を置いたことで、変わりました。というか、ぐうたらな自分を変えたくて、お勉強学校を選んだというのもあったんですけど。
――すごいですよね。中学生の時点で自ら厳しい環境に身を置いた。
才木 今も私の周りには頭が良かったり、頭の回転が速かったり、すごいなと思う人がたくさんいます。全然追いつけてないんですよ。だから日々勉強頑張らないと、という感じですね。
――「かわいいから勉強なんか頑張らなくてもいいよ」みたいなことを言われたことはないですか。
才木 えーっ、ないかな。言われたとしても、「いやいやよくないよ」って思う。かわいいだけでは生きていけないですよ。そういう人もいるかもしれないけど(笑)。私は無理です。泥臭く頑張ってなんぼの人間だと思うので、自分は(笑)。
芸能界に遅く入ったのがコンプレックスだった
――「自分は泥臭く頑張ってなんぼ」と思い始めたのはいつくらい?
才木 この業界に入ってからかもしれないです。芸能界に入ったのが22歳と結構遅くて、そのことがコンプレックスだったんですよ。
芸能活動を始めたときの記憶で印象に残っているのは、事務所の同期の女の子。彼女はすでに6、7年活動していて、当時のマネージャーさんは彼女のことを売り出そうとしていたんです。武器のない私を売り出してもらうためにはどうするべきなのかを考えるようになったのは、その同期の存在が大きかったですね。