現在の価値で4億円! 超豪華な2人の式
「猪木、1億円結婚式」
披露宴会場は、同じ1971年に開業した新宿京王プラザホテル。当時、新宿で最初の高層ビルとして話題になっていた。この5階、コンコードボールルームで、出席者は約1000人。料理が1人、1万5000円。猪木夫妻からの引き出物は、猪木の第二の故郷、ブラジルの蝶の標本と、13代目柿右衛門陶作の皿。セットで1つ、5万円(ちなみに、こちらは今でもネットの類で見かけることができる)。
猪木が身に着けた袴は、前年に逝去した人間国宝、甲田榮佑の仙台平で、380万円。倍賞は、打掛、小袖、カクテルドレス等、計5着で、これが2380万円。
ウェディングケーキは、卵2000個、砂糖500キロを用いた高さ5メートルの代物で、こちらが約300万円。
ホテル側の諸経費については、1500万円という情報があったので、こちらを足すと……まあ、1億は軽く超えるし、各数字が多少大袈裟だとしても、かかった費用が1億前後なのは間違いない華燭の典である。
因みに、現在の価値に照らせば、ざっと「4億円挙式」となる。全て、猪木の主導だった。事実、用意した婚約指輪は1500万円のネコ目石、いわゆるキャッツアイだったが、これには倍賞自身が言ったという。
「こんなに高いのじゃなくても……」
「結婚前に一緒に過ごしたことがバレちゃうじゃないか!」
猪木自身、自伝で語っている。
「週刊誌の見出しに『倍賞美津子とアントニオ猪木が結婚』と書かれていた。『アンニオ猪木と倍賞美津子』ではなかった。プロレスはやっぱりマイナーなんだな……と思ったのを覚えている。当時の倍賞美津子は、まだそれほどのスター女優ではなかったのだから。世の中がプロレスをそう見ているなら、超豪華な結婚式をやってやろう。私はそう決めた。それまでの最高が横井邦彦と星由里子の五千万円結婚式だったから、それなら一億だ。(中略)馬鹿みたいなことだが、世間を見返す絶好のチャンスだと私は思っていた」(『アントニオ猪木自伝』)
「波紋を起こせ」「世間を驚かせろ」……猪木がよく発するメッセージである。
自らを一種の広告塔とする猪木の第一歩が、この時だったのかも知れない。ただ、それはあくまで、世間に対してのものだったようだ。1971年11月2日の披露宴の直後、報道陣との会見にのぞんだ夫妻の、こんなやりとりが残っている。
──昨夜はどうでした?
猪木「試合が遅くまであったので、このホテル(京王プラザホテル)に泊まりました」
倍賞「朝、起きたら、『トレーニングに行って来る』って、置手紙があって……」
猪木「バ、バカッ……! そんなことを言ったら、結婚前に一緒に過ごしたことがバレちゃうじゃないか!」
一瞬の間を置き、報道陣は爆笑したが、対照的に、猪木は顔を赤くするばかりだった。