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今だから話せる当時のメディア収入

林下 テレビはほとんどノーギャラでしたけど、本を出した時に12万部も売れて、口座に1100万円入ってきたことがありました。1000万単位の現金なんて見たことがないから、全部銀行からおろしてきて、帯をパツンパツン切って、4畳半の和室を閉め切って子どもたちと「わあー」とばらまいて遊びました。で、そのまま段ボールに入れておいたら、3カ月後に火事ですべて焼けてしまって。

――え!

林下 厳密にいうと、400万円は人に貸したので、焼けたのは700万円ちょっとですけどね。ちなみにその400万円も、貸した相手が亡くなってしまったのでもう戻って来ないんですが。

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――さらっと凄い話ですね……。ではせっかくの印税収入も、家族のためにも自分のためにもほとんど使わずじまいだったんですか。

林下 そうですね。お金は俺のところに居付かないようにできているんですよ。火事ですべて焼けちゃったから、ひとまずマネージャーに30万円だけ用立ててもらったのですが、それも落としてしまったし。財布も焼けちゃったので、ビニールに入れていたから滑りやすくて、いつの間にかなくしていたんです。

 テレビで誰かが「お金は寂しがり屋なんだよ。だからもともと仲間がいるところにしか集まってこないんだ」と言ってましたけど、なるほどなと思いましたよ。

 

――あらためて波乱に満ちた人生であることを痛感しています。ちなみに、もし次の人生でまた一家のもとにテレビのクルーがやってきたら、その撮影オファーを受けますか?

林下 うーん。みんなよく「生まれ変わったら」とか「若い頃に戻ったら」という仮の話をしますけど、俺は大前提として来世なんてまったく望んでいないんです。家族でテレビに出たことで良い経験もたくさんあったけど、今までの人生がギリギリ過ぎて、これをまたやり直すなんて気が遠くなります(笑)。

 今回の人生、ここまでなんとかやれたのは本当に運ですからね。そこは身の程をわきまえているんです。だからとにかく今の人生に全力を尽くして、目標である食堂開業を実現させたい。その一心ですね。

写真=橋本篤/文藝春秋

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