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SNSで巻き起こる「カップ麺は贅沢か否か」論争から見えた、弱者を選別する“貧困ジャッジマン”たちの存在

2022/10/11

 少し前に、ツイッターで「カップ麺は贅沢か否か」論争が起きていた。

 その中で「金がないからカップラーメンばかり食べている奴は、本当の貧困ではない。カップ麺は今や200~300円して当たり前だし、本当に生活が苦しいなら、米を炊いた方が安上がり。自炊すればいいだけなのに甘えている」というような趣旨の意見がたくさんあり、おそらくこうした論争は「貧困」について各々が有している理解度があまりにも違うがゆえに起きるのだろうと思った。

生活困窮者の多くはあらゆる面で余裕がない

 生活困窮者の多くは時間的、精神的、健康面において余裕がない。例えば、毎日劣悪な環境で長時間労働を続けていれば、帰宅するころには疲労でへとへとになり、しまいには「とにかくなんでもいいから腹を満たして一刻も早く眠りたい」という思考に陥りがちだ。

 実際、私が20代でブラック企業に勤めていたときなどは、毎日の生活――つまり職場と自宅を往復すること――を維持するのに精一杯で、次第に食事に気を遣うことがまったくできなくなった。初めはきちんと米を炊き、毎日必ず自炊して体を壊さないよう努めていたけれど、抱えている仕事が膨大になり、夜遅くに帰宅する日々が続くとともに、「職場と自宅を往復すること」以外はほとんど何もできないほど余裕がなくなった。

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 友人からの誘いを受けても、毎日働き続けるために(睡眠不足になると途端に体調を崩してしまう私の場合は)とにかく睡眠時間を確保せねばならなかったから、仕事が終われば駅まで走って一本でも早い電車に飛び乗り、帰宅すると急いで食事とシャワーを済ませて布団に入る日々を過ごしていた。

「何かのサイクルが狂ってしまうと働けなくなってしまう」という強迫観念から、新しいことを始めようとしたり転職活動や勉強をしたりする余裕はまったくなく、ただただ日々を「維持」し続けるしかなかったのだ。