文春オンライン

SNSで巻き起こる「カップ麺は贅沢か否か」論争から見えた、弱者を選別する“貧困ジャッジマン”たちの存在

2022/10/11
note

貧困を美化しようとする「貧困ジャッジマン」たち

 先述のカップ麺論争にも登場したワードだけれど、ここ数年、「本当の貧困」という言葉が表すものについて考えさせられることが多い。

 こうした言葉を使うのは多くの場合、困窮に喘いでいる人に対して、第三者的立場、つまり赤の他人であるにもかかわらず「この人の苦しみは本当のものであるか否か」を勝手に見定め、ジャッジし、「偽物」だと判断した相手に対しては徹底的に攻撃をはじめるような人々である。

 彼ら彼女らは自分たちが認める「弱者」以外には残酷なまでに厳しく、そこにある困窮の実態や福祉介入の必要性を完全否定し、さらには権利や声まで奪おうとする。そしておおむね、このような「貧困ジャッジマン」たちは生活困窮の当事者ではなく、いわゆる中流階級以上の人たちだ。

ADVERTISEMENT

 貧困ジャッジマンたちのいう「本当の貧困」とは一体どういうものだろう。

 アルコールにもギャンブルにも依存せず、謙虚であり、真面目で、純粋な善人で、自炊で質素な食事くらいしか摂ることができず、痩せていて、ボロボロの服を着ていて、従順で、娯楽を享受せず、不服の声を上げたりせず、自分たちの立場を「わきまえている」、生活保護など受給せずにコツコツ働いて「自己責任」で、誰にも迷惑をかけずに貧しい生活をしている人々。

©iStock.com

 このように書き連ねると「さすがにそこまで言わないだろう」と思う人も多いだろうけれど、上記にあげた要素のうち、どれかを逆にした途端、貧しい人々は世間からの顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまう。

 アルコールやギャンブル依存症、傲慢、不真面目、悪人、たまに焼肉を食べることがある、太っている、綺麗な服を着ている、強情、娯楽好き、社会に対して声を上げている、自分たちの立場をわきまえず、生活保護を受給して、働かず、誰かの支援を必要としながら生きている。

 こう書き換えて見ると、どうか。たとえこれらの要素をすべて満たしているとしても、何らかの事情で働けなかったり収入が減ったりすれば生活保護を受給する資格は十分にあるし、健康で文化的な生活として認められる範囲である。仮に「ケースワーカーに報告をしていない事項がある」など不正な受給でないかぎりは、法的にその受給を否定される根拠もない。

 けれども、こうした貧困当事者たちを許せない人々は決して少なくない。だからこそ、生活保護受給者が割引になっている焼肉用の肉を買うことや、娯楽のために少しお金を使うことですら、ネット上で反感を買い、長年叩かれ続けるような現象が起こる。