貧困にある人ほど依存症、精神疾患リスクは高い
実は貧困にある人ほど依存症や精神疾患のリスクは高く、さらにその傾向は子供世代にも遺伝する。そして貧困は文化的貧困(学歴などを含む)、社会的貧困(人脈など)、知的貧困などさまざまな要素が複雑に絡み合っている問題であるけれど、貧困家庭ほど学歴は低く、人脈やコネクションを持った親族がおらず、受けられる教育水準も低い。
病院にかかることも経済的に難しく、健康を損ないやすい。努力をして何かを得られる成功体験を積むだけの時間的・経済的余裕がないために、子供の頃から「努力をする習慣」が身につきにくい。
つまり、世間から共感されづらく「本当の貧困じゃない」と言われる人の方が圧倒的に貧困の沼にはまりやすいのは、ごく自然であることがわかる。そして一度でも貧困の沼にはまってしまうと、固定化された格差の中では個人の努力うんぬんではどうすることもできず、外部からの介入がないかぎり抜け出すことができないか、抜け出せても相当長い期間を要することがわかっている。
弱者に「優しくしてあげたい」かどうか
自分たちの税金が使われているのだから、自分たちの御眼鏡にかなう弱者にしか支援は行われてほしくない。そんな風に思う人々は意外にも(意外と思わない人ももちろんいると思うけれど)多い。
強者側にいる人たちにとって、弱者に「共感できるかどうか」は「優しくしてあげたいかどうか」を決める重要な指標なのだと思う。美しくない弱者、共感できない弱者は「本当の弱者ではない」と決めつけられ、簡単に排除されてしまう。
このような人間の悪の部分、エゴイスティックともいうべき基準によって形成される世論は、公的支援の対象者選別にも影響するし、本来なら支援を受けられる人を、セーフティーネットから遠ざけることすらある。
おまけに「共感されづらい人」からは人が離れて行き、孤立化が進む。誰も助けてくれない、助けを求めたくても求められない。そういう人たちが自ら死を選ぶしかない窮状に立たされていることも、債務整理などで、これまでに数千件の生活相談を受けてきた私は、よく知っている。
「福祉」とは、強者によって選別された「美しい弱者」にしか施されない性質のものなのだろうか。そんなはずはなく、誰もが健康で、文化的な生活を送る目的で、平等に受けられるのが福祉であることを、いま一度考えなくてはならない。