1ページ目から読む
4/4ページ目

その日、突然の電話が…「日本生命の福留です」

 福留と河西は、福留が日本生命に入社してからもしこりは残らず、交流が続いた。福留は球場で河西に会うと、礼儀正しく「こんにちは!」と挨拶を欠かさなかった。それは他の近鉄スカウトに対しても同じだった。

日本生命時代、日本代表選手となりアトランタ五輪キューバ戦でホームランを打つ福留孝介 ©️時事通信社

 福留は日本生命に入って2年後のドラフト会議で、希望する中日ドラゴンズに1位指名される。このとき78歳の河西はスカウトを引退して家にいた。

 福留の入団発表が行われた翌日、突然電話が鳴った。家人が受話器を手に取ると、電話の主は「日本生命の福留です」と名乗った。河西に代わると、福留は言った。

ADVERTISEMENT

「中日に入団が決まったので、ご挨拶させてください」

 ぜひお会いして、ご挨拶したいと言う福留に、河西は言った。

「これだけ礼を尽くしてくれただけで十分や。わしはあんたのことは少しも悪う思とらんで。だから胸張って何も気にせんと中日に入って頑張ってください」

 その後も二人は祖父と孫のように喜んで会話を続けた。

「お父さんは元気か。いつまでもあのときを引きずったらあかんで」

 電話口から、はいと言う声がする。ときおり笑い声も聞こえた。

 このとき家人は河西がとても嬉しそうだったことを覚えている。電話を切った後も、河西は「ワシはほんまにあの子が好きや」と語った。

 河西はいつも言っていたという。

「福留君は何も悪くないのに、気の毒になあ。ワシはもともと体が悪かったから、あのことと(指名拒否)は関係ないのにな」

「スカウトの極意は?」と聞かれた河西はひと言だけ答えた

 その後、河西は甲子園大会が始まると、甲子園球場に行くのを日課としていた。そこには彼を慕う近鉄のスカウトたちが待っていたからである。

 やがて甲子園球場からも足が遠のくようになった。「もう足が動かんのよ」と後輩たちに呟いたという。そして07年6月25日、河西は自宅で眠るように87歳で息を引き取った。

 晩年、スカウトの極意は? と記者が尋ねた時、河西は「やっぱり誠意かな」と答えたという。自由競争時代から生き馬の目を抜く厳しさを生きぬいたスカウトは、究極は何が大事なのか伝えたかったのだろう。

引退セレモニーであいさつをする福留孝介(2022年9月) ©時事通信社

 河西のいた近鉄球団も身売りされ今は存在しない。そして今季いっぱいで福留は現役生活に別れを告げた。

 ドラフト会議が始まる。スカウトの仕事は注目されることは少ないが、今年も指名の陰でスカウトのどんなドラマが生まれるだろうか。