この少年も、事件前日まで右翼団体に所属していた。少年は犯行の翌日に自首。出版社のトップを狙った動機は、雑誌に掲載された小説「風流夢譚」だった。
作家の深沢七郎の手によるこの小説は、皇族が登場人物。過激な描写を問題視した宮内庁が名誉棄損での提訴を検討すると報じられるなど、掲載直後から物議をかもしていた。
少年は、この小説の内容に憤慨し、社長宅を襲撃したのである(この風流夢譚事件により、メディアによる皇室批判がタブー化されたともいわれる)。
「けさ犯人つかまる 十七歳の少年 元大日本愛国党員」(朝日)
「中央公論社長宅襲撃犯人つかまる 17歳の元愛国党員」(読売)
「けさ浅草の交番で 右翼少年(一七)を逮捕」(毎日)
――各紙はこの事件でも、少年の逮捕を実名、写真入りで夕刊の一面で報じた。
この事件の実名報道も、新聞協会が定めた方針とは異なっていた。少年が逃走中ならまだしも、彼はすでに逮捕されていたのである。山口と同様に、この事件の少年も、早熟で先鋭的なテロリストだった。保護されるべき「子供」とは見られなかったのである。
政治テロ以外の「少年事件」の扱いは
ただ、60年代には、政治テロのような大きな意義付けのない少年事件については、各紙は匿名報道へと舵を切っている。ためしに山口二矢の事件があった1960年の紙面を開いてみる。
住み込みの17歳少年が同僚刺殺(東京・6月)/16歳高校生が父刺殺(同・同)/18歳工員が人妻刺殺(東京・7月)/18歳高校生がパチンコ店員刺殺(神奈川・12月)/17歳高校生が同級生刺殺(大分・12月)/中学3年が同級生を刺殺(神戸・12月)――。
今であれば、どれも社会面アタマで扱われてもおかしくないニュースだが、いずれの事件も、名前は「少年A」のように匿名で報じられている。50年代に散見された実名報道は、60年代には確実に減る。逮捕の報道も、社会面の十行あまり~数十行の記事にとどまっている。少年事件は、特別なことがない限り、大きく報じられなくなった。
少し細かくみると、たとえば60年11月、東京・足立区で8歳の女児が川で死亡しているのが見つかった。犯人が逃走し、警視庁が捜査するという、記事が大きくなるパターンにあてはまったため、発生当初は大きく報じられた。しかし、それが16歳の少年とわかると、記事は一気に小さくなった。
少なくとも、事件に「子供」の要素が含まれる少年事件は、加害者の「親の立場」に立って実名が報じられなくなり、記事の扱いも小さくなったのである。