1997年、少年事件の「少年」観を大きく変える出来事が起きた。当時中学生だった「少年A」が小学生5人を殺傷した、神戸連続児童殺傷事件である。

 5月、中学校の校門で小学校6年生の男児の頭部が発見されたことを皮切りに、神戸新聞が犯人から送られてきた犯行声明を全文掲載するなど、各紙の報道はエスカレートした。しかしその段階では犯人は明らかになっておらず、誰も「少年」の犯行とは見抜けなかったのである。

 ここでは、毎日新聞記者の川名壮志さんが少年事件の歴史から社会を読み解いた一冊『記者がひもとく「少年」事件史 少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す』(岩波書店)より抜粋。「少年A」の逮捕を巡り、報道の現場はどれほど混乱したのか――。当時の新聞紙面や関係者の証言を振り返る。(全2回のうち2回目/山口二矢編を読む

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新聞の一面が「少年逮捕」一色に…

 逮捕は、青天の霹靂だった。

 事件の発覚から約1カ月後の6月28日。14歳の少年が、いきなり兵庫県警に逮捕されたのだ。同日夜、兵庫県警は緊急の記者会見を開き、少年の逮捕を発表。報道の「前打ち」(発表前にスクープ記事を載せること)は、一切なかった。

 「犯人」は、遺体が見つかった中学校に通う中学3年の少年。被害者とも顔見知りだった。

友が丘中学校の正門 ©共同通信社

 「淳君事件 中3男子を逮捕」(朝日)

 「淳君殺害容疑 中3少年逮捕」(読売)

 「淳君殺害 中3男子を逮捕」(毎日)

 ――各紙とも、朝刊で少年の逮捕を報じた。

 驚くべきは、その扱いだ。

 各紙とも、朝刊の一面を丸々使って、少年の逮捕を報じたのである。

 新聞が最も重視する一面には、政治や経済、国際情勢など複数の記事が必ず入る。どんなに大きなニュースが飛びこんできても、一つの記事で紙面を偏らせることはない。他にも伝えるべきニュースを盛りこんで、一辺倒にせずにバランスを保つことが、新聞の矜持でもある。

 ところが、この日の紙面は、14歳の少年のニュース一色に染まった。それは、新聞史上、異例中の異例のできごとだった。

 それが、どれだけ特異なことなのか。過去の事件を振り返ってみると、よくわかる。たとえば、少年事件の扱いが大きかった50~60年代でも、小松川女子高生殺人はもちろん、永山則夫(編注:1968年の連続ピストル射殺事件)や山口二矢(編注:1960年の浅沼稲次郎刺殺事件)の事件でさえ、一面がそれのみで埋まることはなかった。

 成人の事件を見ても、前例が見当たらない。リクルート事件の江副浩正の逮捕や、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人の宮崎勤の逮捕でさえ、それほどの扱いではなかった。かろうじて、ロッキード事件の田中角栄・元首相の逮捕や、オウム真理教の麻原彰晃の逮捕時は一面がそれのみで埋まったが、しかしそれらはいずれも夕刊だった。

 神戸の事件と同様に「犯人逮捕」のニュースで朝刊の一面がまるまる埋め尽くされたケースは、他に何があるか。安倍晋三・元首相を殺した銃撃犯の逮捕である。つまりサカキバラ少年の逮捕は、一国の元宰相の殺害犯並みに、ニュース価値が置かれたのである。いかに神戸の事件が衝撃的だったかということだ。

 そしてこの事件が発生するまで、少年事件の新聞報道は、たとえどんなに残虐な事件でも、抑制的であるのが「常識」だった。新聞協会の方針通りに、加害者の「親の立場」に立ち、成人よりも扱いを小さく抑えていた。いたずらなスキャンダリズムに陥らないように、配慮することが意識されていたのである。

 ところが、この事件は新聞各紙のスタンスを反転させた。少年事件の報道史をがらりと変えたのである。