「少年A」は今までの「少年犯罪」と何が違う?
ここで、それまで各紙がニュース価値を見いだした(あるいは見いださなかった)少年事件を、もう一度振り返ってみる。
たとえば、各紙が関心を抱いたのは、60年代ならば、山口二矢のような政治少年であり、永山則夫のように極貧に育った少年だった。80年代に入れば、家庭や学校に背景があるとされた事件、つまり「親子」や「教育」を基軸とした事件だった。90年代初頭に注目されたのは、死刑を宣告された年長少年だ。
一方で、「1969年の酒鬼薔薇事件」と称された15歳の同級生の首切り事件や、目黒の中2少年の祖母両親殺害事件などは、尻すぼみの報道に終わった。報道はこれらの事件を、個別の子供の事件として、目をつぶったのである。
つまるところ、各紙が価値を置いたのは、社会の情勢と結びつく少年事件だった。過ちを犯した少年を通じて得られた教訓を、社会にフィードバックする。その意味で少年事件は、まさに「社会の鏡」だったのである。
そうした視点に立つと、神戸の事件は、従来ならば大きく報じられないタイプの少年事件だった。14歳の少年に政治的な思想などなかったし、貧困にあえいでいたわけでもない。そして、ツッパリでもない目立たない存在だった。
道徳的な価値観が失われたかにみえる少年の「犯行」は、80年代以後の少年事件報道の典型だった「ウチの子にかぎって」の文脈からも、明らかに逸脱していた。
少年は中学生だったが、もはや新聞はこの事件を加害者の「親の立場」に立って報道することはできなかった。「ひとつ屋根の下」の家族の事件としてはとらえられなかったのである。
しいていうならば、少年は社会から切り離された存在だった。
この事件で、少年事件をめぐる報道のスタンスは足場を失った。この事件は報道にとって、少年が人を殺す理由が「わからない」事件だったのである。
だが、それゆえに、この事件は「少年事件はわからない」という、新たな基軸を生んだともいえた。犯行声明で少年が自らを「透明な存在」と称したことも、それに拍車をかけた。
14歳の少年は匿名で報じられたにもかかわらず、ちまたでは「少年A」と名付けられた。その呼称そのものが、神戸の少年本人を指す固有名詞化したのだ。
匿名と個人名の両義性をもつ「少年A」。
その報道は過熱し、やがて「少年A」の存在は一人歩きしていく。少年は怪物(モンスター)化して報じられていくのである。
この神戸の事件以後、少年事件は、少年が「犯人」であるがゆえに、成人よりもむしろ大きく報道されるようになる。
少年事件は「小さく」から「大きく」へ。
この事件でもって、少年事件報道のたがが外れる。